公開投稿
2025.01.06 21:32
なぜ「推し」という言葉に違和感を覚えるのか
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あまりにも普及しきったせいか「推し」という言葉が一般的でなかった頃からオタクやってる「古参」も「推し」という言葉を使うようになった感があります。かくいう自分も「何推し?」というような質問を見ると「まあ○○というキャラが好きだからそれが『推し』かな」と言ったりします。が、自分は当初から微妙な違和感を持っていました。これは多くの人も同じようで、「推し 違和感」で検索すると沢山の記事がヒットします。
個人的には以下の記事が自分の感覚とも近いと思います。
上記記事に書かれていますが、現在「推し」という言葉はWikipediaやデジタル大辞泉にも項目があります。
> 人にすすめたいほど気に入っている人や物
from: 推し(オシ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
「推し」の「推」という漢字は「推薦」などにも使われるように、用いてもらうように人を後おしするといった意味を持つため、「人にすすめたいほど気に入っている」という意味になるのも当然と言えるでしょう。そしてそれこそが違和感の原因だと思います。
「好き」と「推し」の違い
特にディープなオタクでなくても「好きなキャラ」とか「好きなアイドル」がいる人は多いでしょう。しかし「推し」の場合「人にすすめる」という意味合いも持ちます。要するに「このキャラ好きだなあ」と思ってる(だけでSNSなどで「このキャラ大好き!」と発信したりはしない)のは厳密には「推し」とは言わない事になります。例えそのキャラがどんなに大好きだとしても。
これが違和感の原因なのでしょう。何かのキャラを好きになったとして別に「私はこのキャラが好きです!」と言う必要は無いのに、「好き」=「推し」かのような意味で使われていると、「そのキャラのために何かしてない限り好きではない」というおかしな話(少なくともそう感じる人も多くいる)になります。
もちろん「好きならば推し活すべきだ」と言える合理的な理由はあります。例えばあるマンガが好きだとして打ち切りを防ぐためには「そのマンガがいかに素晴らしいか」をSNSに書き込んだり(布教活動)、場合によっては漫画の単行本を一人で何百冊と買ったり(お布施)する必要が生じることもあるでしょう。
しかし現在の「推し活」は上記のようなレベルではなく必要以上に押し付けるものになっています。
> AKBをはじめとした選挙(中略)「誰を応援しているのか」の立場を明確にし、人に勧めて票を集めることで、アイドル本人だけでなく投票したファンも含めて「勝つ」ことができるようになった。
> (中略)
> 選挙で何位とか、誰より上とか、CDが何枚売れたとか、曲が何回ダウンロードされたとか、そんな数字に踊らされてないで純粋に、ただそこに存在している人に無償の愛を注ごうよ。それがファンってものだろう。子どもにお受験を強いる教育ママじゃあるまいし。 そう思ってしまった。
> そんな思いがあったからだろうか。 「推し」という言葉に自己顕示欲や勝利への欲求の片鱗を見てしまう。 とくにSNS上での推し活を見ると、「推しを推している自分」を楽しんでいるだけにみえる時がある。もちろんそれはそれで良いのだろうけれど、私は心が狭いので、アイドルたちを「消費」しているように見えて切なくなる。
from: 「推し」という言葉への小さな違和感|もず
少し前に「推し活は宗教」という記事が(炎上交じりで)話題になりましたが、実際「推し活」が宗教(の悪い部分を取り出したもの)と酷似したものになっている面はあるでしょう。
先に「布教活動」「お布施」という宗教用語を使いましたが━━そしてこれらの言葉は「推し」という言葉が一般化する前から使われていましたが━━そこでは「神(推し)に祈る」というような静謐なものではなく、「私はこんなにも神(推し)に貢献してるんだぞ」という自己顕示が強く押し出されていることが指摘されています。上記記事では「祭壇」という言葉も出てきますが、「目に見えない信仰心とかどうでもいいから豪華な大聖堂を作ろう」と同じような心理が働いていると言われても仕方が無いような状況でしょう。ソシャゲなどの「廃課金自慢」も古代の王が「私は寺社にこんなにも寄進(寄付)した(から死後救われる)」の縮小版とも言えるでしょう。
もちろん「推し」という言葉を使う人が全員病的なんてことはありませんが、「推し」という言葉が「好き」よりも広がった背景に上記のようなものがある事は確かだと思います。
> 私、推し活についてずっと前に「公式で放送してるアニメやドラマをおっかけたり単行本買うだけでも立派な推し活だからね、海賊版でなきゃいい」って誰かに話したことがある。それで正しかったと本当に思う。 推し活って言葉を金を注ぎ込むレースに誰がしたんだ。