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2024.08.16 10:00

謙徳公・藤原伊尹の娘たち(4)四女・忠君室

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四女・本名不明(母:不明、忠君室、947~953頃?-不明)


 結婚相手は上級貴族なのに、母親がまったくわかっていないのが四女です。行成の『権記』でも触れられていないところを見ると、母親は恵子女王ではないのでしょう。しかし、結婚から生母の身分は低くなかったと思われます。

 四女は子どももおらず、出仕などもしなかったのですが、わりとドラマチックな結婚をした人です。


 最初の結婚相手は伊尹の同母弟である忠君です。忠君とは愛称で、本名は忠尹だったと見られています。彼は伊尹とは年の離れた弟ではありますが、四女との年齢差は大きく、他に子どももいるため後妻で入ったようです。この結婚生活はごく短く、夫の死で終わりました。


 二度目の結婚は、源重信の嫡男・致方です。重信は倫子の伯父ですが、妻(致方の母ではない)が源高明の娘だったことから「安和の変」の影響を受けました。初婚で長男の致方が再婚の四女と結婚したの政治的な配慮でしょうが、伊尹がすぐに亡くなったためメリットはさほどありませんでした。しかし、結婚生活はうまくいったようです。ただし、子どもには恵まれませんでした。989年に致方が亡くなるまで添い遂げます。


 その後、どういうわけか四女は舅である重信と関係ができてしまいます。当時は、父の召人を息子も召人にしたり、など、現在から考えると「どうなの?」みたいな関係は多いのですが、正式な結婚ののち、息子の妻を父親が、というのはさすがに顰蹙ものだったようです。

 ただ、重信は真面目な人間で恋愛ベタ、一方の四女は三十代後半、兄弟たちはことごとく早世、親族はほとんど当てにできないという状況であり、世間一般でいう不義密通とは違っていたかもしれません。重信は995年に亡くなりますが、その後の四女の消息は伝わっていません。