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2024.08.20 10:00

謙徳公・藤原伊尹の娘たち(8)八女

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八女・本名不明(母:不明、960後半?-不明)


 この女性もまったく詳細がわかりません。七女を為光室(妾)と比定すると、彼女についての情報はまるで残されていないことになります。また、人生についてもその一片も伝わっていません。ごく幼い頃に亡くなった場合、○女という形でのカウントはしないことが多いので、裳着を済ませる程度には成長したのだろうと思われます。


 ところで、伊尹の娘ではないのですが、その息子にはどうなったのかわからない娘がひとりいます。

 伊尹の三男・惟賢は、源重光の娘と結婚していたらしいことが『一条摂政御集』から窺えます。惟賢は早世しますが、子どもがひとりいました。

 源重光の娘には出仕して女房となった者(左衛門内侍)がおり、寡婦となった惟賢の妻が子どもの養育をその祖父母に任せたという風には考えられないでしょうか?

 この頃の伊尹は将来が開けており、摂政の猶子となった方が有利だと考えても不思議はありません。伊尹からしても女子の数は多いに越したことはないですし。しかし、すぐに伊尹が亡くなったため、八女は母方の祖父母の許に再度引き取られたのではないでしょうか。


 そうすると、伊尹の娘にも、重光の娘にも「隆家室」がいることにも納得できます。

 そうでなくても隆家室と記載された女性は多いので……。 存在感がなくても、こうした経緯であれば、「八番目」と数えられることはあるのではと思うのです。