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2024.01.26 13:00

マッチョマックス

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ずいぶん長い間、ウェイトトレーニングを続けている。

スマホのスプレッドシートの記録を見てみると一番最初の日付が2014年8月29日なので、かれこれ10年近く、ただ重いものを上げたり下げたりするという行為を断続的に実施しているのである。なんかそう書くとアホみたいですね。

別にマッチョな体型になりたいとかそういう願望があったわけではないので、こんなに続くとは自分でも思っていなかった。ワタクシはもともと運動が好きで、社会人になってからもキックボクシングやらスノーボードやらダイビングやらで身体を動かし続けているのだけれど、長年酷使した結果なのか、ちょいちょい膝を痛めたり腰を痛めたりするようになってしまった。んで、関節の軟骨とかがすり減ってるんなら筋肉で補うしかなかろう、といういささか短絡的かつマッチョな思想に取りつかれて、ある日突然ウェイトトレーニングを始めたのである。なんかそう書くとアホみたいですね。


ウェイトトレーニングの面白いところは、結果が定量的に数値で現れるというところで、まあ真面目に続けていればワタクシのようなおっさんでもゆっくり記録は伸びていく。一つのハードルを越えると、またその先のハードルが見えてくる。で、次第に関節への負荷軽減という目的を忘れ、逆にもう関節に負荷かかって死んでも構わんみたいな勢いでトレーニングにのめり込んでしまい、なんか不自然な体形が出来上がるのである。

いつだったか、夏の日の朝に子供が連絡帳を忘れていったので登校班の集まるマンション入り口まで届けに行ったら、わらわら出てきた子供たちにとり囲まれ、「ねえ誰のお父さん?」「なんでキンニクマッチョなの?」「腕立て伏せ何回できる?」「うちのパパはすごいデブ」などと口々に話しかけられて大変怖い思いをした。ウェイトトレーニングをしている人は、なるべく体型を隠して子供の忘れ物を届けに行くべきである。


しかしまあ、あの時こそ見知らぬ子供に「キンニクマッチョ」などと罵声を浴びせられはしたものの、日本で一般的に「マッチョ」というと、体脂肪が率低くて筋肉量多い人を指すのではなかろうか。なので、ワタクシのような筋肉の上に脂肪も蓄えた中年プロレスラーみたいな体系のおじさんは、おそらくマッチョという定義からは外れるのではないかと思う。

そもそも「マッチョ」という言葉を肉体のありように限定して用いるのは日本独特のもので、ラテンアメリカや白人社会ではもう少し広義というか、精神性と結びついているような気がする。たとえばだけど、昔のアメリカ映画などを見ていると精神的マッチョ、あるいはマチズモの表象やろなあ、というようなシーンを見ることが稀によくある。しかもそれが向こうの価値観に従って様式化されており、カメラワークや雰囲気などで「どや、このシーンかっこええやろ」とアピってる事はわかるのだけれど、実際それのどこがかっこいいのか理解できず首をかしげてしまうこともしばしばだ。


一つ例をあげるなら、『コブラ』という映画である。いや、寺沢武一のやつじゃなくて、名画『刑事ジョー ママにお手上げ』の主演俳優が出てるB級映画の方です。

その映画の中でスタローン扮する刑事ジョー、じゃなかったコブレッティ刑事が一仕事終えてから自宅に帰ってきて、ピザを食うシーンがあるんですよ。サングラスかけてマッチをくわえた、黒ずくめでマッチョの結晶みたいな男が、黒い手袋したまま冷蔵庫からピザ出して食うの。

冷蔵庫から出してすぐだからね、冷めたピザじゃなくて冷えたピザなわけです。冷えピザ。しかもそれを無造作にハサミで切って口に運ぶんですよ。ハサミってお前。チヂミかよ。

わくわくしながら映画館に行った小学生のわたくしは、はっきり言ってこのシーンに釘付けになりましたね。

まだガキだったわたくしにも、このシーンが何かかっこよさを伝えようとしてる事は理解できたのだけれど、制作側がワイルドかつマッチョな男の描写として用意したものはすべて裏目に出てしまい、ワタクシの頭には「ピザは温めた方がいいのでは」「手袋をしてピザをたべたら汚れるのでは」「ご飯食べるときにはサングラスを外した方がいいのでは」「そもそもなんでマッチをくわえているのか」といった疑問が氾濫、それ以降のストーリーは全く頭に入って来なかったのである。

というわけで、このマッチョの純粋培養みたいな映画は、長らく少年だったワタクシの心に残り続けた。この世には自分に理解できない種類のかっこよさがある。この発見はちょっとした衝撃であり、それがマッチョと形容されることを知るのはもう少し後のことである。


もう一つ例を挙げておこう。同じく1980年代アメリカのテレビドラマ『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』である。今見るとすげえタイトルだな。

そのドラマの主人公がストリングフェロー・ホークというのだけれど、こいつが女に着替えを持ってきてもらうシーンがある。なんで着替えを持ってきてもらうことになったのか理由は覚えてないんだけど、この主人公は差し出された着替え一式を見てドヤ顔で一言、「いや、下着はつけない主義だ」と言い放つのである。

ここで「うわ、かっこよ」とかってなります、普通?

小学生のワタクシはもちろん「は?ストリングフェローさんはパンツはかないの?」と思いましたね。主人公がノーパンでタイトフィットのデニムパンツを履く姿を見ながら自らの体験を振り返り、「チャックにちんちん挟んだら死ぬほど痛いよ?」と心配すらしました。そして、この時にもまた、この世の中には理解のできないカッコよさがあるのだなあ、と思ったのである。


というわけであれからワタクシはだいぶ歳をとりましたが、相変わらず精神的マッチョのかっこよさも理解できず、10年もウェイトトレーニングを続けているにも関わらずマッチョには分類されず、世の中の片隅でひっそりとこのファンコミュニティを更新しております。

そういう自分の人生が、わりかし好きです。


敬具