公開投稿

2024.02.14 00:00

【掌編/空鍾】甘いものは好きですか?

----------------

バレンタインネタ。先生にお菓子をあげる空くんと、異世界の風習に興味津々の先生と。

これといった事件もなく二人が仲良くしてるだけの話です。

----------------


 フォンテーヌの食文化に触れた旅人がまず感じたのは、菓子の種類がやたらと多いことだった。

 他国と比べても、ここの人々がスイーツに抱くこだわりは並ならぬものがあるようだ。水神フリーナは繊細な菓子が大好物だというから、それも発展の背景にあるのかもしれない。

 露店に所狭しと並ぶ甘味を横目に、空はぼんやりとそんなことを考えた。心なしか、街中を吹く風も甘い香りを含んでいるような気がする。


 そう言えば、と思い出す。

 以前訪れたとある世界では、特定の日に意中の相手へ菓子を贈る風習があった。店先に並んだ色とりどりのパッケージを買い込み、妹と分け合った――その甘さと喜びを、今でも鮮明に覚えている。


 少ししんみりした気分を振り払うように、空はある人物の顔を思い浮かべた。

 もし彼に菓子を贈ったら、果たしてどんな反応をするだろうか。甘味を口にしているイメージはあまり無いけれど、苦手だと聞いた覚えもない。

 璃月ではそろそろ海灯祭の時期だ。遠い異世界の風習など、彼には知るよしもないだろうが……手土産と称して、渡してみるのも悪くないだろう。

 そうとなれば、まずは何を贈るか決めなければ。思案しながら歩く旅人を見て、傍らのパイモンが不思議そうに首を傾げた。



 それから数日後。

 夕食を済ませ壺の洞天に戻ったところで、空は鞄から取り出した包みを相棒に渡した。

「パイモン、これあげる」

「えっ、何だ? オイラにくれるのか?」

 いそいそと包み紙を開き、現れた菓子を見るなり歓声を上げるパイモン。きらきらと目を輝かせる現金な姿に、空は思わず苦笑する。

「ゆっくり食べて。俺は出かけてくるから」

「どこ行くんだ?」

 問いかけに少しの沈黙を挟んでから、少年は一言だけ返した。

「鍾離先生に会ってくる」




 夕食時を過ぎた頃合いを見計らって、通い慣れた邸宅を訪れた。窓にうっすらと明かりが灯っているのを確認してから、門扉をくぐる。

 玄関先の呼び鈴に手を伸ばすまでもなく、すいと扉が開いた。家主曰く、自宅周りに張った結界によって、訪問者が誰かはすぐにわかるのだという。

「よく来たな」

 今となってはもう驚かないが、ノックに先んじて現れた彼に最初は度肝を抜かれたものだ。玄関先に立つ長身を、空は苦笑交じりに見上げる。

「少し早いけど――『海灯祭を祝して』」

 そう告げると、鍾離は穏やかに微笑んで同じ挨拶を返してきた。


 居間に招き入れられた空は、席へ座る前にと持ってきた手土産を差し出す。

「先生、これ。良かったら食べて」

「ありがとう。喜んでいただこう」

 開けてもいいかと問う目線にうなずけば、長い指が丁寧に包みを開いていき――

「ほう」

 手のひら大の箱の中、整然と並ぶ菓子を見た瞬間、鍾離は赤銅の双眸を軽く見開いた。

「これは……フォンテーヌの菓子か?」

「そう、マカロン。食べたことある?」

「ああ。以前、人から貰った記憶があるな」

 しかし、と手元に視線を落とし、青年はわずかに首を傾げる。

「このように絵柄が描かれたものは、初めて見る」

 お前が作ったのか? との問いに、空は首肯した。

 フォンテーヌで知り合った友人から教わったレシピに、少しだけ手を加えて作ったものだ。パイモンの分にはバブルオレンジやラズベリーを使ったが、青年に渡したものはコーヒー豆をフレーバーとして混ぜ込み、甘さを抑えめにしてある。

 料理はそれなりに得意だと自負しているが、人に渡せるだけの品を作るには結構な時間を要した。簡単そうに作っていたナヴィアがいかに手慣れていたか、旅人は今更ながら思い知ることになったのだった。


「相変わらず器用なことだ」

 どの国でも料理人としてやっていけそうだな、と笑いながら、鍾離が茶器の準備を始める。旅人もそれを手伝い、やがて部屋には芳しい茶の香りが立ちこめた。

「では、いただくとしようか」

 淹れたての茶を一口啜った後、鍾離はおもむろにマカロンをひとつ口に運んだ。

「どう?」

「美味いな。甘すぎず、微かにほろ苦い風味もあり……ふむ、これは珈琲か?」

「正解」

 他国の特産であってもずばりと言い当てた青年に、流石だと空は思う。

「異国の菓子と共に味わう茶も、また違った趣があるな」

 鍾離に促され、少年もマカロンをつまんだ。

 味見をした時も悪くないと思ったが、こうして改めて青年と共に味わうと、より美味しく感じられるから不思議だ。我ながらいい出来ではなかろうかと、内心でこっそり胸を張る。



「――しかし、珍しいな。お前が菓子を持参するなど」

 ひとしきりマカロンに舌鼓を打った後、鍾離がふとそんなことを言ってきた。

「そう?」

「お前がくれる手土産はどれも良いものだが、甘味というのはあまり記憶にないな」

 言われてみればそうかも、と少年は思い返す。特に考えあってのことではないが、無意識に避けていたのだろうか。

「うーん……多分、先生に甘いもの好きってイメージが無かったから、かな」

 実際どうなの? と問いかけると、青年はしばし考えてから答えた。

「確かに、普段から進んで口にはしないが……どちらと言うなら好きな方だ。

 美食を楽しむのに、料理の種類を問うことはしない」

 ――例外はあるが、と。

 いささか渋みがかった表情で付け加えられた呟きに、空は思わず吹き出した。


「それなら何故、今日に限って菓子を?」

 仕切り直しの咳払いと共に問われ、少年はしばし考えてから話し始める。

「……ただの思いつき、なんだけど」

「前に行った世界で、その……親しい人にお菓子を贈る日っていうのがあったんだよね」

「ほう」

 わずかに上体を乗り出す鍾離。きらめく朱金の瞳が、興味を惹かれたと雄弁に語っている。

「受け取った人は、一ヶ月後にそのお返しを贈るんだって」

「なるほど、面白い。外の世界にはそのような風習もあるんだな」

「で、それがちょうど今くらいの時期だったから……やってみてもいいかなって」

 それだけ、と。

 いつもの手土産と大差ない、そう思わせたかったが故のそっけない返事。しかしその気遣いもむなしく、それを聞いた青年は予想通りの言葉を返してきた。

「つまり、一ヵ月後は俺が甘味を用意する番、ということだな?」

「それは気にしないで。俺が勝手にやっただけだし」

 やっぱりこうなるよね、と空は内心でため息をつく。

 もっとも、本当に気を遣わせたくないなら、異世界の風習の話を聞かせなければよかったのだ。そうしなかったということは、自分も心のどこかで彼からの「お返し」を期待していたのだろう。我ながら勝手なものだ、と独り苦笑する。


「ただの手土産だし、気を遣わせたくないんだけど」

「なに、どちらであれ返礼をするのは変わらないさ。俺も――」

「『礼儀を重んじる璃月人だ』でしょ?」

 幾度となく聞いた台詞を先読みする少年に、そういうことだと鍾離が笑った。

「お前は好き嫌いが無いとは聞いているが……さて」

 しばし考えを巡らせるように、茶を二口、三口と飲み下して。

 ふと何かを思いついたように、青年の唇が蠱惑的な弧を描いた。


「それとも――甘味以外の方がいいか?」


 一瞬、カップを持つ手がぴくりと震える。

 その声の奥に含まれた甘さに気づかなかったふりをして、空はややぬるくなった茶を一気に喉へ流し込んだ。



 ――ひと月後、予想よりもはるかに高級そうな点心が並んだ卓に圧倒されることになろうとは、この時の旅人はまだ知る由もない。