公開投稿
2025.06.18 06:46
氷はからんと鳴る
昨日は通院日だった。大阪の、私が住んでいる地域の最高気温は30度を優に超えていた。
駅までは徒歩で約十五分から二十分ほど。日傘をさして、のんびりと歩く。自宅のエアコンは風量を調節しつつ、つけたままにしておいた。我が家には今年十七歳になる猫がいる。この暑さの中、エアコンを切った状態でお留守番させるわけにはいかないのだ。
一旦駅前の喫茶店に入り、アイスコーヒーを注文する。ひとりでふらっと入った喫茶店、特に昔ながらの純喫茶でいただくシンプルなアイスコーヒーの美味しさは格別だ。ゆるやかな時間すらも、珈琲の中に凝縮されて溶け込んでいるんじゃないかと思う。時折からん、と小さく鳴る氷の音が外界と自身の内界を繋いでくれる。
店を出てから、電車に乗って数駅。降りた駅からまた五分ほど歩く。今使っている日傘はパートナーからの贈り物で、シンプルながら全体のデザインが美しい。私は直射日光や紫外線、強い光が非常に苦手で、それらを浴びてしまうと肌が熱を持ち数日動けなくなることもある。身体の内側から強烈な痛みが走る。そんな症状を心配して彼女から贈られた日傘は、身体だけではなく心も守ってくれているように思うことがある。これは、少々ロマンチシズムに溺れがちな発言かもしれないが。
以前はこういった発想が嫌いだった。今では、自然とそんなことを思う。ただ、ぼんやりと。
この変化が良いものなのか悪いものなのか、どちらとも言えないものなのか、私には判断出来ない。判断しなくても良いことなのかもしれない。ただ、今の私はそんな心境にある。
病院に着き、しかし診察は数分のみで待合室に戻り待機。処方箋をいただく。昨日は通院といっても基本的にいつものお薬を処方してもらうことが目的だったので、然程時間がかからなかった。
一時間も経たぬ内に、再び陽射しの下へ。濃厚な夏が広がる。なんでも梅雨は消えてしまったらしい。
六月の内から三十度を超える気温。すこしずつ変容を重ね、ここまで来てしまった地球の現状を思う。この世には「いつの間にかここまで来てしまった」ものごとがあまりにも多い。あまりにも多いが、その過程を私は知っていたはずだ。そこに生きていたはずだ。
ここまで来てしまった、と思いながら振り返り、自ら歩んできた道を眺める。遠く、遠く続く道。もう辿り着けない道の先。
過去へ連なる道と、未来へ続く道、どちらが長いのだろうか。私には分からない。六月とは思えぬほどに暑さを覚える夏は明日、突然消えてしまうかもしれない。
それでも私は日傘をさして、帰路をゆったりと歩いてゆく。家に帰ったら猫のごはんとお水をチェックしなければ、などと考えながら。木々の微かに揺れる音を、この町で生活するひとびとの音を聴きながら、家路を辿る。
このなんでもない営みが、変わりゆくものごとと共に続けば良いと思う。
変わるものと、変わらないもの。そのどちらにも、氷は小さくからんと鳴る。
薬夏