公開投稿
2024.11.20 02:30
映画『アマデウス』を観たよ
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※映画のネタバレを多く含みますので、映画本編視聴後の閲覧を推奨します。
とある理由でつい先日映画『アマデウス』を鑑賞しました。まず一言。
すっっっっごい良かった…………
ぼくは音楽史や近代の音楽家には疎いのですが、この映画を観て調べてみたいなと思いましたし、クラシック音楽もたくさん聴いてみようという意欲も湧いてきました。ありがとう……とても良い映画でした……。
さてここからは細かい部分の感想に移ります。特に印象に残った場面を抜き出して語っています。
オーストリアの宮廷楽長であったアントニオ・サリエリが回想する形で語られるモーツァルトの生涯。音楽に理解のない父親を持ちながら音楽に打ち込んだサリエリはついに努力が実って宮廷楽長の地位まで上り詰めるも、そこに現れたのは稀代の天才モーツァルト。
恐らくサリエリは初めモーツァルトを「神童」そのままでイメージしていたみたいで、実際のモーツァルトがお下品なジョークを連発し特徴的な笑い声をあげて女性と床に転がり戯れるような、品がなく、お世辞にも宮廷の場に見合うほどの礼節があるとは思えない男であると知ってひどく失望したのだと思います。「天才は顔にも表れるのか?」と期待していたくらいだし、きっと高貴な人物像を思い浮かべていたのかもしれません。
ただし彼の才能は疑いようもなく抜きん出ていて、あらゆる場面でサリエリの上を行くものだから嫉妬と恐怖が止まらない。やっとの思いで手に入れた地位が粗雑で下品でひょうきんな男に崩されるわけにはいかない。中盤までのサリエリは間違いなくモーツァルトという才人を恐れ、憎らしく感じていたかと。モーツァルト自身幼いころから周囲に天才もてはやされてきたことで自分の才能に絶大な自信を持っていて、加えて野心もあるからサリエリとの衝突は遅かれ早かれあったのでしょう。
王族の音楽教育者の審査に通るため妻のコンスタンツェが夫モーツァルトに内緒で楽譜の原本をサリエリの元へ持ってきた場面、サリエリが楽譜を開くごとに対応した音楽が背景で流れる演出が素晴らしくて今でも頭に残っています。どれもが鮮明に分かる。宮廷楽長になれるほどの実力を持ったサリエリならより明白にそれが分かったはず。書き直しのない楽譜の原本など通常であればありえないのに、今目の前に存在していることがサリエリの常識と安堵をひとつ残らず打ち壊していく。このときはじめてサリエリはモーツァルトの才能の強大さを知り、心の底からの純粋な恐れを感じたのかも。
モーツァルトが父を亡くしてから書いたオペラは死者が蘇って生者を責める内容と劇中で説明されます(記憶が曖昧で自信ありません)が、彼は仲がこじれていた父の死に何を思ってこのオペラを書いたのか。何も返せないまま、何も取り戻せないままに逝ってしまった父の面影を舞台上の役者に重ねていたであろうモーツァルトは指揮中もずっと重苦しい表情で、ラストを知ってからこの場面を思い返すと彼の孤独はここから始まっていたのではないかと思いますね。後半のサリエリがかつてのモーツァルトの父親がしていた仮装でモーツァルトへ「レクイエム」の制作依頼をした際にモーツァルトがサリエリから目を離せなかったことからも、父親が亡くなってからずっと父親の亡霊に囚われていて、浴びるように酒を呑んでいたのも遊びに興じていたのも全て亡霊から目を逸らしたかったからなのでは……と思わず勘ぐってしまいます。オペラにしてもなお昇華しきれなかった罪と晩年にかけて深まっていく孤独に、最終的にモーツァルトは潰されたわけです。
そんな中ですがなんとサリエリはモーツァルトが作曲したオペラは一つ残らず観劇していたようで、もはや熱烈なファンなのでは?と思ってしまいますが、サリエリとしてはあくまで敵情視察なのでしょう。サリエリにとってモーツァルトは最大のライバルで自らを脅かす敵ですからこそ、念入りに観察して対策を打ち立てなければいけませんよね。モーツァルトも終盤の大衆オペラの場面で観劇に来ていたサリエリに「友人では唯一貴方だけが観てくれた」と感謝していますし、図らずしもサリエリはモーツァルトの心の支えとなったのです。……孤独であった彼の、最期の安寧となったのです。
品行の悪さから妻には(一時的に)逃げられ、借金を重ね、収入もはした金程度しかなく生活は困窮に困窮を極め、ついには演奏中に倒れてしまうモーツァルト。サリエリによって介抱されなんとか自宅のベッドに寝かされますが、依頼されていた楽曲を仕上げるためにサリエリの協力を得て制作をすることに。モーツァルトの言う指示の通りにサリエリが楽譜に書きつけていく、小説でいうところの口述筆記の形式ですね、これにより夢のコラボが実現しました。
この楽曲制作のときが劇中でもっとも美しい場面で、ぼくは好きです。かたや年下の天才を一方的に敵視していた人、かたやその宮廷楽長に嫌われていると思い込んでいた人、そんな二人が心を通わせた唯一の場面であったのです。元はと言えばどちらも音楽を愛する者、根っこに持つ音楽への想いは同じでした。共同作業を通してお互いの音楽への情熱をみとめあった二人の姿が、何よりも美しく、純なもので、今でもその場面を思い出すと涙が出てきます……。何故もっと早くこうならなかったのだろう。何故もっと早くこうなれなかったのだろう。サリエリが全てを理解したときには、もう遅かったのです。
虫の知らせか家に帰ってきたコンスタンツェが、モーツァルトの要望で家に泊まり込んでいたサリエリと口論しているうちに、モーツァルトはこと切れていました。コンスタンツェが家に着いて彼のいる寝室に来た時点ではまだ意識があったので、モーツァルトはきっと、死ぬ瞬間に孤独から解放されていたのかも。自分を嫌っていると思っていた宮廷楽長が朝まで自分と共にいてくれ、妻と子供も帰ってきた、これほどの幸福はないでしょう。孤独感が癒され最上の安堵を得て、モーツァルトは安らかに眠ったのです。死に目に見たものが幸福の景色だったことがせめてもの救いだったと思います。
現在に戻ったサリエリはこう叫びました。
「神は私から愛する者と栄光を奪い去ったのだ!」
サリエリの言う「栄光」とはもちろん彼の音楽におけるキャリアでしょう。では「愛する者」とは。
サリエリの「愛する者」はモーツァルトです。彼を愛憎の沼に沈め、死してなお彼を苦しめ続ける鮮烈の天才。
サリエリは当時に生きた他の誰よりもモーツァルトの音楽を愛し、その才能を愛し、モーツァルトその人を愛していました。紛れもない天才だ、それが誰よりも理解できていたから恐怖もしたし、かえって憎らしさも感じていました。しかしすべての感情を掘り出して出てくるのは音楽にまつわるモーツァルトへの途方もない愛であり、信頼でした。
劇中で度々サリエリはモーツァルトを褒めており、「君の作るオペラはどれも一級品だ、君以上の演奏家はいない」とまで言っています。中盤まではモーツァルトに自分は味方だと思わせ安心させるための嘘だと思ってしまいますが、嘘ではなく本心からの誉め言葉だったのです。そうであったことにぼくたち観客はおろかサリエリ自身も気が付いていませんでした。気が付くのが遅すぎて、もう取り返しがつかなくなってからようやく「モーツァルトという才人」を愛していたことを知ってしまったから、モーツァルトの死後に「許してくれモーツァルト!私が君を殺したのだ!」と狂乱状態に陥って自殺しかけるまでとなったのです。『アマデウス』というこの映画は、サリエリがかつて異常なまでに憎み愛した音楽の鬼才モーツァルトへの、もう届くことのない愛情と嘆きをひたすらに聴き続ける作品なのです。
ここまで映画でのサリエリとモーツァルトについて話しましたが、史実での二人はどうやら少し違う関係性にあったようで。
モーツァルトの死因についてサリエリが毒薬を仕込んで殺したのではという噂が当時出回っていたらしいのですが、噂は所詮噂、事実とは異なっていたみたいです。
むしろサリエリはモーツァルトとは親交があり、彼の死後に彼の息子の音楽の指導役を担っていたくらいでした。モーツァルトが亡くなったことは当然ながら、自分が彼を殺したなどという心無い噂にもひどく心を痛めていたようで、後年に重度の抑うつ病になったのもそれが原因だったとのこと。モーツァルトの音楽の才能を愛していたのは確かだけど、憎んでいて度々妨害をしたというのは史実的には正しくないみたいです。なんとも言えぬ、不憫なお方でこちらの心も痛くなってきました。
とはいえぼくは本作で描かれたサリエリとモーツァルトの関係性も好きです。天才の光に焼かれもがき苦しむ俊才、その焼き焦げた痕がきれいさっぱり治ることは一生涯無い、そんな関係がとても好きなのです。史実の音楽仲間であったお二人も、映画の中のライバルと同時に理解者であったお二人もどちらも良さがあります。史実については恥ずかしながら非常に疎く、本作を鑑賞してはじめて調べたくらいですので、これからより深堀りしていけたら良いなと思っています。
ところでモーツァルトが葬られる場面について。想像以上にあっけなく、そのあっけなさがぼくにとっては異様に恐ろしく、鑑賞した日の夜に瞼の裏に過ぎりました。棺の形をしたものが馬車で運び出され、どこか立派な葬儀場に行くのかと思いきやいきなり墓地にいって穴の中に遺体の入った麻袋をぽい。しばらく脳が機能を停止していました。
鑑賞後に調べてみたらどうやらお墓がどこにあるのか不明で、集合墓地に葬られたのでは説があるのでそこからできた場面らしいですが、あまりに雑で軽々しい葬り方に肩透かしを喰らい、脳がゆっくりを意味を理解し始めて形容しがたい恐怖が湧いてきました。これは二年前『ミッドサマー』を観たときに感じた恐怖とは別種の恐怖です。まともに弔いを受けることもない、それがどれほどに寂しいものか。モーツァルトの孤独さを克明に描き出した演出と言えるでしょう。震えました。こうして文字起こししたことで思い出してしまったのできっと今夜も脳裏に麻袋が穴に捨てられる映像が流れます。さようなら、穏やかな眠りよ。
映画の感想は以上になります!映画作品を観たのはかなり久しぶりだったのですが、やはり小説や漫画、アニメとは違った迫力と魅力があって良い刺激になりますね。本作は場面ごとに流れるクラシック音楽(使われているものは全てモーツァルトの楽曲らしい。ネタが細かい)が壮大さをより演出していて、登場人物の感情や情景が心に深く迫ってくるようでした。しばらくはクラシック音楽を聴いて過ごそうと思います。
ここまで長い文章を読んでくださりありがとうございました。
書き込むことに夢中になっていたらいつの間にか遅い時間になっていましたので、ここらで筆を置きます。
おやすみなさい。死と孤独に怯えないあたたかな夢を。
作業BGM:モーツァルト《レクイエム》全曲 カラヤン指揮/ベルリン・フィル(1961)