公開投稿
2025.12.21 00:00
1221 cut
ポメラの中の謎の断片。
ちいつよちひろくんとくにしげとしばさん
①
千鉱は物心つく頃には今の性格の原型を有していた。最初の記憶は国重が研ぎ師の元に出かけて、千鉱が初めてのお留守番をしたときだった。三歳にもならない幼児を一人にすることはできないと柴が子守を引き受けたが、聞き分けも良く、一人で大人しく絵本を読んだり庭で観察に励む千鉱には不要だった。こら楽だわと、庭の隅っこの丸い背中を気を緩めた柴が飛び起きたのは、その一時間後だった。
『とうちゃのとこ行く』
②
千鉱がそれを知ったのは、父の自慢の髭周りが「ジョリジョリして痛い」と言って彼の頬擦りを拒んだのが原因だった。五歳ぐらいの時だったか、柴は大笑いしていたし、国重は口をあんぐり開けて受けた衝撃を何とか口から放出しようとしていた。
あの時は人目――柴や薊だ――を憚らず自分を抱き締めて頬擦りしてくる父の愛情表現を、自分はもう甘やかされる歳でもないのにというちょっとした自我の芽生えゆえに気恥ずかしく思った。当然傷つける意図はなく、自分はもう子どもじゃないのだと主張したかったのだが、大きく開けた口を閉じきることもできず、両手で頬を擦る父の姿は初めて見るもので、千鉱は何かとんでもないことを言ったのではないかと怖くなってしまった。父さんごめんなさい、そう言いかけたのを、柴に彼の目線の高さまで抱き抱えられたことで止められた。
『チヒロくん、お父さんに酷いこと言いたくて言うたわけでもなし、お顔真っ青にせんでもええねんで? じょりじょりして痛いんはホントやろ?』
ゆっくり優しさを噛み含めるように、千鉱の眼を見て確かめて言う柴に、こくりと頷く。今日の髭は頬を酷く擦って、痛かった。うんうん、と大きく首を縦に振った柴は、こら六平、あんまり大仰なムンクすんなや、チヒロくん困らせたらあかんてー。抱えた千鉱を軽く揺らしてあやしながら間延びした声でそう言った。
あれはきっと、叱咤してしまえばまた千鉱が気にしてしまうだろうという柴の気遣いだったのだと今はわかる。国重も自分のミスに気づいたのか、ごめんなチヒロ! 大丈夫だ、今日父さんチクチクしてる、痛かっただろ? 両手を伸ばしてきたので、千鉱からも手を伸ばして柴の手から国重へと移動する。ぎゅうと抱き着くと、国重はごめんなぁとこつり額を千鉱のまぁるい額とつきあわせた。