公開投稿
2024.11.13 23:09
マルイゾ短編「Umbrella」
その女は、鈍色の空からザアザアと音を立てて雨が降り注ぐ海面をじっと眺めていた。
傘もささずにずぶ濡れで港の堤防に腰掛け、脚をブラブラさせながら口元に微かな笑みを浮かべて。
(自殺志願者か?)
ただならぬ気配が気になって、背後から傘を差しかけながら声をかける。
「おい、こんな日にこんなとこで何やってんだよい」
女はゆっくり振り向いた。濡れたシャツが肌に張りつき、華奢な身体のラインが浮き彫りになっていて、長い黒髪の毛先からポタポタと雫が落ちている。遠目からは女に見えたが、近くに寄ってみて、男であることに気づいた。マルコの姿を映した男の大きな瞳がきゅうっと細められるとドクンと大きく心臓が跳ねた。
「お前の助けを待っていた」
「……は?」
「正確には、誰かを待っていたんだが、それが誰なのかよくわかってなかった。でも、今、お前の声を聞いて顔を見たら『ああ、おれが待っていたのはこいつだ』とわかった」
そう言って男は立ち上がった。雨と潮の香りに混じった男の匂いを感じた刹那、マルコも悟った。
「はは、よく考えたらおれもここで何してるかわからなかったが、どうやらお前を探してたみてェだ」
「そうか、それは奇遇だな、マルコ」
「全くだよい、イゾウ」
名乗らずとも、互いの名前を知っていた。生まれる前から、きっと、ずっと。数えきれないほど呼び合ってきた愛しい名を、その響きを象ってきた唇を寄せてそっと重ねた。ほのかに伝わる互いの体温に何故か涙が溢れて止まらなかった。
「マルコ」
「……?」
気がつくと雨が降り頻る中、港の堤防に座りこんでいる自分にイゾウが傘を差しかけて覗き込んでいた。
さっきまでと同じ景色だが、立場が逆だ。そしてイゾウは変わらず美しいが右目の上に大きな傷がある。その傷がどうしてそこに刻まれてしまっていたかをマルコはよく知っていた。
「散歩するって出かけたっきり戻らねェから、様子を見に来たら……何やってんだ、こんなとこで」
「夢見てた」
「は? この雨の中寝てたって言うのか? ……お前大丈夫か?」
意識が覚束ない様子のマルコを心配して、イゾウの顔が曇る。マルコを引っ張り起こすと、自分が着ていた漆黒の長羽織を脱いでずぶ濡れの身体を包み込んだ。二人並んで傘に入り歩き出すと徐にマルコが口を開いた。
「イゾウ、この景色だ」
「ん?」
「この景色をよく覚えておいてくれよい」
「良いけど、何でだ?」
「この景色を忘れなければ、おれたち来世も結ばれるから」
「は?」
「ここで待ってろよい。必ず会いに来るから」
イゾウが足を止めたのでマルコは顎を掬ってキスを落とした。
雨が傘を打っていた。
柔く震えたイゾウの唇からじわりと温もりが伝わってくる。
ゆっくりと顔を離すと、イゾウは眉間にギュッと皺を寄せて思いっきり口をへの字に曲げた。そんな顔をしても美人なのだから堪らない。
「何て顔してんだ。喜べよい。それとも、来世じゃもうおれと一緒になるのは嫌なのか?」
イゾウの艶やかな髪を一房手に取り口づけると、この30年いつも近くに感じていた香りが鼻腔をくすぐる。
「お前が変な事言い出すからだ。……時間はまだあるだろう。一旦家に戻って風呂入ってちゃんと目ェ醒ませ」
「んん、まァそうするが。じゃ来世もよろしくってことで良いんだよな?」
「わかったわかった。何でも良いから早く歩けよ」
「言ったな、忘れんなよい。約束な。いや、婚約だ、婚約」
これから戦場へ向かうとは思えないほど幸せそうに笑うマルコがこれ以上濡れないようにイゾウはそっと傘を傾ける。するとマルコはグローブに包まれたイゾウの手からするりと傘を奪い、腰に手を回して身体をピタリと密着させた。
「あっ、バカ! お前、自分がずぶ濡れなの忘れてんのか?! おれまで濡れるだろうが」
「だねい。だから一緒に風呂入ろうな」
Umbrella
イゾウの桜色の着物の裾に大きく描かれたマークが、跳ねた雨水に濡れて色濃く二人の絆を主張していた。