公開投稿

2025.12.16 13:06

優しいね

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私は性格が悪い、と思っている。

そんなことを最近よく考える。


バイト先の後輩の子から『人生で出会った人の中で一番優しい』と言われた。同意をするように近くにいた子も頷いてくれる。正直しっくりきてないけれど褒めてくれているし嬉しさは勿論あるので『ありがとうね』と言う。


それから、何となく自分の性格について考えることが増えた。


自分は自分との付き合いが一番長いから、性格の良くないとこもだらしないとこも嫌と言う程知っている。

人生で私を表す言葉で一番人から言われやすいのが『優しい』だ。小学生の頃の卒業文集にクラスの7割が私の事を『優しい』と書き、2割が『おとなしい』や『真面目』、残り1割の当時の仲良かった子が長文で私の面倒なとこを書いていた。

その頃からずっと『優しい』がしっくりきていない。自分は自分で自分の事を『優しくない』と思っているから。1割の友達の長文の文句が凄く嬉しかった事を覚えている。


自分の性格の悪さの始まりは保育園の年長の頃。最近父から昔話として聞いて驚いた話だ。

当時私はかなり自覚的に大人にすり寄っていたような記憶がある。大人に嫌われなければ同級生にも嫌われない。そんな安全策としてのすり寄り。そのせいか先生がするようなクラスをまとめる役を私がしていたらしい。(これは記憶に無い)卒園まで後数ヶ月ぐらいの頃に色々あり別の園に通うことになる。その後父が私がいなくなった後のクラスの様子をパパ友に聞いたら、私がやっていた分の仕事も先生がやらなきゃいけなくなりクラスをまとめられず病んで退職したらしいとのこと。

父は笑って話してくれたが、私は心からなんて気持ちの悪い子供を私はやっていたのだろうと嫌になった。大人にとって都合の良い子供でいること。それが私の性格の始まりだった。


ではなんでそんな子供だったのかと言えば、家庭環境のせいで全てが片付けられる。物心つく前には家庭内に『暴』が存在していた。アル中の祖父が暴れまわるし祖母は止めないし母は統失だし父は母に手を上げるし。負の連鎖で出来た家庭。

少しでも安心して生きたかった子供の知恵だった。お陰で私と妹は殴られた事はない。


私の『優しさ』は生きる知恵でしかない。性格ではない。これは妥協や諦めを含んだ自分を守るためだけのもので、誰かの為に動けるような本当の『優しさ』は私に無いように思う。

本当の私はどこにあるのか。性格というもの自体ただの脳のしわの形でしかないのではないかと思ったりもするけれど、確かにここに私は存在する。性格の『良さ』も『悪さ』も表裏一体となって一つの人としての形を保ち存在する。


貴方には私がどう見えるのだろうか。私は私が悪く見える。