公開投稿

2024.12.05 15:40

先生

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インターネットは私とっては先生である。


今のご時世必要不可欠となったもの。ネット。

私のネットとの出会いは中学二年生位まで遡る。

一応世代的に小学生頃に2ちゃんねる等のネットの掲示板が流行っていたり

ニコ動、ボカロが流行り始めたぐらいで

私の友達が学校でハレ晴レユカイの振り付けを練習しているのを見たりしていた。


そんな私は家にネット環境がないお陰か殆ど当時のネットで流行ったものを知らない。

情報源はTVか母が買ってくるファミ通とアニメージュとザテレビジョンのみ。


そんな感じで初めて自分の携帯を持ったのが中学二年生位だった。

記憶が朧気だから位とつけさせて下さい。


始めの方は飼い犬をカメラ機能で撮ってみたり、友達とメアドを交換する程度で大して使っていなかったのが

Twitterに出会ってからネット自体にのめり込むようになった。


Twitterで最初に作ったアカウントでは、呟くことは殆ど無かった。

何に私が惹かれたのかというと、とても大きい声では言えないが『炎上』だ。


国会議員の方がかなり過激な発言をして炎上しているのを見かけた。

当時の若い自分にも今の私でも到底理解できない差別的なツイートをされている方だった。

それにたくさんの批判的な声がついている。それと同時に肯定的な声もまたかなり少ないが見かけたりする。


かなりの衝撃だった。

私のそれまでの世界は、母の意見が中心だった。かなり狭い世界で生きていた。


『炎上』するツイートとそれに対する意見の多様性に驚いた。


言っていることは差別的な事だしそれを私は今でも肯定するつもりはない。

でも、一つの事柄において『私とは違う捉え方をする人間』がこの世にいるという事実が衝撃だった。

そしてそれを批判する人間も肯定する人間も色んな考え方で存在している。どっちもいて良い。凄いツールだと思った。


今考えると当時の私は勝手にROMっていた。

東に炎上あれば見に行き西に炎上あればそれもまた見に行く。そしてただ見る。

その事について呟く訳でもなくただひたすらに見る。


私の性格形成にかなりの影響を与えているのだろうなと思う。

言葉がどれだけ花束になるか刃になるか。

『あくまでも個人的意見です』とかなり予防線を張りながら話すことが多くなった。


『私は貴方じゃないし貴方は私じゃないので意見が違ってくるのは前提でお話ししますね。』

そういう意識で話すことが多くなった。


インターネットは私の倫理観の先生である。


こう言うと炎上で倫理観を学んでいるヤバイヤツに見えるし、実際そう。

ただ『炎上』と言っても

多種多様な人間の価値観の集合体が手っ取り早く見れるのが『炎上』と私が個人的に捉えている節があるため

そこから自分の価値観の形に合うものを探しては考え方をアップデートすることで自分の倫理観を構築しているに過ぎない。

思考停止しないための荒療治のようなもの。

うん、やっぱりヤバイヤツか。


一応インターネットの悪いところは吸収しないように努力してはいるんだよ。

私の気づかない内に『こいつ性格悪いな』と思う部分を見つけたら指摘して貰えると嬉しい。


いいねとリプライを送るから。