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2023.10.02 18:00

2023年9月ハンガリー旅行記 5/8

5日目

早起きしてジュール(Győr)という町に向かう。オーストリアに近く、ドナウ川を挟んでわずかにスロバキアに接している町だ。東駅に向かって、あらかじめ調べてあった時間の列車のチケットを買った。座席選択の画面は出なかったが指定席で、往復の両方ともが窓側だった。


ABLAKは窓のこと


チケットは往復で三枚だった。乗車券は往復ともに同じもので、座席指定券は往復一枚ずつらしい。


ミュンヘン行の列車に乗り込む。


RJX60


日本の新幹線のように、ホームと車両内部の床の高さが同じではないので、乗り込むのにも一苦労だ。


国際列車だからか、車内アナウンスはハンガリー語、ドイツ語、英語で行われた。乗っている途中で雨が降り始めた。ジュールには9時に到着予定のところ、駅に着いたのは9時20分だった。駅に近づくまで到着が遅れる旨のアナウンスはなかったので、降りるのを忘れたのかと思ってグーグルマップを確認した。20分遅れてごめんねみたいなアナウンスがハンガリー語でだけ流れた。


ジュールでは雨が降っていて、上着をホテルに置いてきたことを後悔するほど寒かった。駅前からのびる道を歩いていくと、大きな聖堂に行き当たった。開いていたので中に入る。


奥に見えるのがBasilica of Győr


図書館で借りていた地球の歩き方とグーグルマップを照らし合わせながら歩くも、行く先々で営業終了していたり開いていなかったりしていた。仕方がないので街の写真を撮りながら歩いていると、偶然Váczy Péter Gyűjteményという博物館を見つけたので、そこへ入った。


受付の女性がハンガリー語と英語とジェスチャーで、荷物や傘を預けるように言ってくれた。展示室の説明はハンガリー語だった。


一階には貴金属の燭台や器などが展示されていた。


二階の展示室へ上がると地元の小学生か中学生かが見学に来ていたが、しばらくすると出て行った。一緒に来た生徒だと勘違いされて、行かなくていいのかと男性に話しかけられた。私は小学生だか中学生だかに見えるらしい……。


さておき、2階の展示室には、戦いに関するものが展示されていた。


16世紀の混血児の鎧


混血児は上半身にだけ鎧を身に着けたとかなんとか。


トルコと戦ったときに使われた武器も展示されていた。大砲や、アラビア語の文字が書かれた武器もあった。だいたい16世紀から18世紀にかけてのものだった。写真を撮ったのだが、ガラスケースに私の体が映り込んでいるので、写真は貼らないでおく。


2メートルほどの絵が壁にかかっていることもあった。展示物のタイトルは英語でもあったが、説明文はハンガリー語だけだったので、全部は分からなかった。英語でも全部は分からないし、大抵は読んだそばから忘れていくので、別にどうということはない。


ハンガリー語の説明文を眺めていると、先ほどの男性に再び声を掛けられる。どうやら博物館の職員らしく、展示の説明がハンガリー語なので、よければ英語に翻訳するよという申し出を受けた。正直なところ、セーケシュフェヘールバールでの聖堂やブダ城の博物館・美術館での経験からして、理解できる気がしなかったので断った。話についていけなくてなにも反応できないことを恐れたのだが、どうするのが正解だったのかは分からない。


別の部屋には古い椅子やたんす、布、机などが展示されていた。


開いている博物館と美術館を求めて歩いていると、小さな美術館を見つけた。ちなみに帰国してからグーグルマップで調べたのだが載っておらず、ストリートビューのない道に面したところにあったので、なんという美術館だったのかは不明だ。もっと写真を撮る癖をつけておきたい。


受付には女性が二人いた。タッチ決済できないカードだったので、現金での支払いを求められた。カウンターに小銭を広げてもたもたと数えていると、数えるのを手伝ってくれた。日本と違って、価値の高い硬貨ほど額面の円の直径が大きいわけではないので、なんというか探すのにすごく手間取ってしまうのだ。


なんとか支払いを終えると、受付にいた女性のうち一人が、建物内の電気をつけてくれた。民家を利用した小さい美術館といった感じで、二階と三階が展示室になっている。三階でお礼を言うと、ジュールで勉強しているのかと聞かれたので、旅行者だと答えておいた。それ以上はなにも聞かれなかったのだが、ハンガリーのどこかで勉強していると思われたかもしれない……。


展示されていたのは、現代アートっぽい絵が多かった。宗教画はなかった。ゆっくり回っても30分で見終える規模だった。


暇になったので最初に行った教会のところへ戻ると、裏手に博物館があった。しかし列車が指定席かつ本数が少ない関係上、早めに駅に向かっておきたかった。残り時間で博物館を見て駅に向かえるのか分からなかったので諦めた。駅の近くに短い列のできているベーカリーがあったので、昼食用にサンドイッチを購入した。駅の前にある広場で乾いているベンチを探して、座って食べた。


奥に見えるのがジュール駅


スーパーで買ったお菓子も食べた。ハンガリーのネスレが出しているもので、ハンガリーの湖の名前を冠している。


BALATON BUMM


ハンガリーのお菓子は基本的にめちゃくちゃ甘い。疲れた体にしみる。


頃合いを見て駅舎に行くと、電車が30分遅れているとの表示が出ていた。


アナログな案内板


博物館に戻るか悩んだが、しばらく待っているとなぜか遅れの表示が消えたので、ホームに上がる。ホームの情報板は、発車時間が近づくと掲示板に列車の情報が表示される仕組みのようだが、そこでは30分遅れとなっていた。何度かハンガリー語と英語でアナウンスが流れるも、言い訳するとくぐもって聞こえてほとんど聞き取れなかった。近くにいたバックパッカーのお姉さんに自分の切符を見せてアナウンスの内容について聞けば、遅れの時間には変わりがなくて30分遅れとのこと。その後すぐに別のアナウンスが流れ、45分遅れに変わったことを教えてもらった。


待っている途中でウィーンに行くのに4ユーロ足りないと男性に話しかけられ、海外にもこの手の詐欺があるのだなあと感心した。日本でも一度、200円貸してくれと言われたことがある。今回は東アジア人顔だからか、「Sorry, I don’t know」で済んだ。それ以前に、私はユーロを持っていなかった。男性はホーム上の人に片っ端から声をかけて回っていた。


ところで定刻の45分後になっても電車が来そうな気配がない。何度も同じ人に聞くのも気が引けたので、近くのマダムに自分の切符を見せて、列車がいつ来るのか聞いてみた。「Most(英:Now)」との返答だったので今に来るのだと解釈したが、五分経っても列車は来なかった。マダムも困惑していた。あとそのマダムに長文でなにごとか話しかけられたが、比較的ゆっくりかつおそらく簡単な内容だったにも関わらず、ほとんど分からなかった。ハンガリー語の語彙がなさすぎる。


しばらくしてマダムがバックパッカーのお姉さんに話しかけに行ったので、私もついていった。ギャルのお姉さんも加わった。みんなハンガリー語で話していたので全部は分からなかったが、マダムが、列車が来るのが明日になったらどうする? みたいな笑えない冗談や、列車はどこで休んでいるのか、みたいな文句を言っていた。ところで列車には日本の新幹線のように名前がついており、単に列車と言うのではなく「リスト・フェレンツ」と呼んでいた。


列車はだいたい一時間に一本で、とうとう私たちが乗る列車の次の列車が先に来てしまった。ギャルのお姉さんはそちらに乗り込んでいった。バックパッカーのお姉さんに、アナウンスが私たちの乗る列車についてなにか言っているか聞くも、なにもないとのこと。列車は最終的に70分遅れでやってきた。アナウンスが流れたとたん、人々が歓喜の声を上げていたのが印象的だった。


私たちのリスト・フェレンツ!


続く