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2024.11.16 01:20

2024.11.10 ミュージカルSOML観劇 感想

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※下記公演と、映画「素晴らしき哉、人生!」のネタバレがあります。


ミュージカル ストーリー・オブ・マイ・ライフ

2024年11月10日 18時公演

アルヴィン 太田基裕

トーマス 牧島輝



 観劇記録。2021年公演の時はチケットが取れず、観劇できなかったミュージカル。その後もSNSで度々良い・好きなミュージカルだという評判を聞いて、再演が決まったときには絶対にチケットを取ると意気込んだ。仲良くしてもらっているお友達に、推している役者の歌を聴かせたかったことと、こういう話が好きだろうということで、頑張って連席を取った。センター真ん中少し前という位置だったので、舞台の全体が見えたのも良かった。


 観劇前に、繰り返し公式SNSでも視聴を勧められていた『素晴らしき哉、人生!』も見た。粗筋を踏まえての視聴だったが、まず抱いた感想としては「クリスマスに見るには内容重くないか?」だった。ジョージ・ベイリーの考え方、人との触れ合い方、その端々に込められた愛情という意味が集約し、美しく幸せなクリスマスに着地する。感情導線の演出が箒星のように美しい映画で、結末の喜びを眩いものにしている映画だった。描かれたジョージ・ベイリーの生きていた時代は、大恐慌から第二次大戦と、ある程度背景がわかる時代だったので、彼のある種の奉仕精神の美しさが、向けられた人々にとってしっかりとした重みのあるものとして渡されていることが伝わる、いい映画だった。

 印象的だったのは子供の頃に勤めていた薬局の店主であり、叩いたことを謝る姿から、本当は掴みで描かれたような偏屈な印象の男ではなく、理由があってそうなったと描かれたことだ。最初にこの話があることで、後半のジョージ・ベイリーが生まれなかった世界の人々の乾いた冷たさに至る過程、それを想像させた。

 一緒に観劇するお友達もこの映画をみて、べちゃべちゃに泣いたと話していた。よく感想を話す仲だが、今回印象的だったのは「宗教の話だった。追い詰められてバーで祈って、殴られたタイミングでクラレンスが来たのは、あの瞬間のジョージ・ベイリーの信仰心が揺らいだ瞬間なんだよね」という話。確かにと納得して、私自身は語彙が足りずに「古典文学というか……昔話的な側面を感じると例えたけど、要はそういうところだ」と納得した。


 なぜ長々と映画の感想を先に綴ったかといえば、観劇前の時点で私とお友達は、揃って「SOMLというミュージカル……おそらく内容は映画よりきついのではないか?」と予想をしたからだ。結果、映画で抱いた感想とミュージカルを見て思ったことがリンクしあって、こうなのではないか?が無限に膨らんで大変なことになった。そういう膨らんだものを整理するのに、時間が掛かってしまった。


 見終わったときの一言目の感想はたった一つ。SOML周回勢はこれを……何度も……?


 落ち着いて抱いた全体の印象というか、このミュージカルを私がワンシーンに例えるのなら。膝下ほどの深さ。氷が薄く張っている真冬の川の中で、腕まくりをして川の中で原稿を探すトーマスの後ろ姿だ。静止画ではない。繰り返し川の中に腕を入れて、必死に落としたものを探している。流れていって、見つからないものもある。そういう映像。でも、探すことを止めることはできない。


 前提として、受け取り方が難しい土台の上に成り立っている話だと思った。お友達も「アルヴィンが死んでいる時点でトムにとって(描かれ方は)フェアではない」と話していた。二人が揃って登場しているが、舞台の上のアルヴィンは、過去も回想も全てトーマスから見たアルヴィンであり、太田さんのアルヴィンの演技自体もそういう含みがあると感じた。含みのアルヴィンに対して、トーマスが向き合って詳らかにしていこうとする。でも、詳らかにすることなんか出来ないのだ。何故なら相手は死んでいて、見ていないものは知らないし、はっきり語られていないことはわからない。想像するしかない。でもトーマスの作家という矜持、積み重ねてきた物語は、都合のいい世界を描くかもしれない。そういう恐怖に自覚的で、かといってはっきりしている事実に向き合うことで、己の過ちを突きつけられる。でもやり遂げなければ。知っていることを書くんだと。

 このミュージカル、とにかく繰り返しが上手いと感じた。ただの個人の好みで、繰り返し演出というのはあまりいい印象を持っていない。出会ってきたものの中で上手いと感じたもの、繰り返すことに意味を感じた作品がそう多くないからだ。ただ、このSOMLの繰り返し演出は絶妙だった。繰り返されることで重みが増し、繰り返されることで各所の意味を引き上げてくる。

 冒頭の「連れ出していれば」の歌がすごく印象に残っていたが、アルヴィンの独立記念日の歌を歌ってる最中のトーマスを見ながら、こっちもどんな顔で見ればいいんだと顔が引き攣っていた。連れ出していればの重さが、想像の五倍くらい重かった。トーマスがやってしまったことは、最低だろう。でも、これはトーマスの主観であって、今描かれている回想はトーマスの視点なんだと、観劇しながら自分の視点を留め置くことが難しかった。お友達が語ったフェアではないという部分を観劇中の体感で表現するなら、どちらに肩入れもしたくないと感じながら、歌を聴いていた。でもトーマスもアルヴィンも音楽も引っ張ってくるので、脳みそが引きちぎれそうな観劇経験だった。


 トーマスとアルヴィンが川に枝を投げ込むシーンの締め。首へのキスは素直に驚いた。驚いたというか、あの行動があることでアルヴィンの主導権ではないけれど、引っ張る側はアルヴィンだという印象にはなった。その上で、キスの結果そこまでの演出と、その先の演出で『意味合いの層』が五倍くらいに膨れ上がったと感じた。残される状況から、引き止めたい孤独感を恋愛と錯覚したように見せたいのか。女性に興味を持たない場面を引き合いに出して、本当に恋愛の側面を持っていたと想像させるためか。アルヴィンの父の葬儀の真実で描かれたように、アルヴィンはトーマスの創造のきっかけを理解していた……小説を初めて読ませたときに確信があったのか。その上で止めようとしたのか。首のキスは執着心の表れと言うけど、こういうキスの位置イコール意味に関しては、世界規模の話なのか?などなど。

 個人的に受けた感覚だと、アルヴィンの行動を恋愛という単語にしてしまうには、意味が偏りすぎていると感じるので、プラトニックな思慕かなと思っている。これはアンサーも同じ。それぞれ別の答えを持っていると言うよりは、イコールになるようなバランス感をトーマスのキスには感じた。


 閑話休題。牧島トーマスの追い詰められた叫びは健康にいい。あの声色に対して、抱えている人間性の背景がよかった。トーマスの話の膨らませ方は普遍的なやり方の一つだけど、そのことを無自覚なのが痛ましかった。


 アルヴィンがイコールジョージ・ベイリーとして描かれていくんだと話が進む中で気づいたあたりから、胃の中に軽石が詰められていくような苦しさを感じた。以降、映画を交えた妄想のような感想になる。

 アルヴィンにとって、信仰心が揺らいだ瞬間は幼い頃に経験した母の死と向き合おうとしたときであり、その瞬間にトーマスが天使として現れたのか……と思ったあたりで涙腺が決壊する。この感想をまとめるにあたりメモを何回か書いているが、書くたびにこの事実に打ちのめされそうになる。しかも幼いアルヴィンは映画を観ているんだ。トーマスがアルヴィンの人生を助けたことは間違いなく事実だ。ただ、このミュージカルはトーマスの主観であり、アルヴィンの心情の比率は圧倒的にトーマスに比べると少ない。それを太田さんアルヴィンは非常に上手く含ませていて、質量の大きい演技だと思った。そう言うものを浴びていなければ、こう言う感想には繋がらないと思う。


 アルヴィンの死は様々な想像ができる。自死とも、アルヴィンらしくジョージ・ベイリーの真似をしてうっかり転落をしたのか、トムの父への弔辞に悲嘆しより思い詰めてしまったとも。わからない。答えは出ない。わからないことに意味を持たせているし、想像するきっかけを与えていること自体は、アルヴィンからトーマスへのエールに思えるラストだった。

 わからないなりに、想像はできる。これだけ断片を散らしてそれを回収しているお話だからこそ想像ができる。子供の頃の映画の話を思い出して、夜の川へ向かったのかもしれない。そしたらトーマスがクラレンスとして現れてくれるのではないかと、期待したのかもしれない。そんな気持ちで川を眺めていたときに、川の中に昔流された母のローブのようなものを見つけたのではないか。それに驚いて、取り戻そうとして、意図せず橋から落ちてしまったのではないか。そう言う想像ができる。そういった物語が、人を慰める。

 トーマスの物語は、アルヴィンが与えたきっかけを前向きなものに昇華させていたから、アルヴィンはその物語に、自分の人生を肯定されたような喜びを感じたのだろうと思った。それこそが物語が持つ力であるけど、とりわけ自分が特別だと思っただろう。思っただろうに……というあたりでアルヴィンの父の葬儀でのやり取りを思い返し、落ち込むと言うのを繰り返している。


 たった一つ、トーマスは間違いなく善人である。器の小さな善人というと言葉は悪いが、自分一人分の人生しか抱えることが出来ない、男だと思う。つまり普通の男で、それを自覚できなかったことと、それを自覚させなかったアルヴィンの噛み合わせが二人の悲劇であると思う。その上で、トーマスはアルヴィンの死後、二人の約束を果たすために凍った記憶の川の中でずっと物語を探している。どんなに辛い過程でも、川から上がろうとせず、やり遂げるのだと。それほどに大切なものを、川の中に落としてしまった。かつて、アルヴィンが母のローブを川に流されたように。こうやって、二人は『とんとん』な関係に戻ろうとしている。そう感じた。

 トーマスに残された希望はある。それは書くことであり、アルヴィンが忘れていってしまうと嘆いたことに対して、トーマスは物語にすることでアルヴィンを取り戻すこともできる。アルヴィンがハロウィンに母のローブを着ていたように。努力することができる。どんな苦悩が付きまとおうとも。


 ストーリー・オブ・マイ・ライフ。読み返すとタイトルの意味が重くて倒れそうになる。氷の川に入って、トーマスが大切なものを拾う物語。氷の中にいるアルヴィンを探す物語。初見はそのように味わいました。




 そしてこの日はダブルトーマスによるトークショーがあったんですけど、小野塚さん前情報通り愉快な人で楽しかったです。座るとチラ見えする靴下恥ずかしいって気にしてた。

 質問から昨年の唐揚げトークの話になり、「あの頃確か毎日唐揚げ揚げてたからそう言うトークになったの」と言う話を聞けて、唐揚げの謎が解けました。確かにどこかで油は喉にいいからとか話してたの聞いた気がする。

 パンフレットを事前に読んでたので、原稿投げるのが難しいって話は読んでて、実際の舞台ではめちゃめちゃ上手に投げてたので「牧島くんはコツ掴んだんだな」とか思ってたらそのトークになり、実演ぶん投げが始まってずっと笑ってました。マチネで投げた原稿が、前の席の人の膝の上にあったとか。牧島くんにコツを聞いたらすぐ実践しようと原稿かき集め始める小野塚さんおもろ……と思ったし、結果の2回目は塊でどごんと落ちてオチとしては最高の笑いでした。めっちゃ面白かったです。

 パンフレットで思い出した。牧島くんが劇中ずっと水飲まない話を聞いていたので、太田さんと見比べてたけどほんとに飲んでなくてひっくり返りました。気合いでなんとかなるものなのか?よみうり大手町ホール綺麗だったけど普通に乾燥はしてたよ?

 なんにせよ、パンフレットもインタビューたっぷりで非常に楽しめました。そういえばインスタでくるむくんがSOML見てて、「凄すぎてもう一回見たいんだけど苦しすぎてもう見たくない。笑」というコメント残してて、今すっごいわかる〜〜〜〜ってあかべこになっている。SOML周回勢の胆力がすごい。いや、どうもペアや公演日が違うと結構印象違うらしいので、もしかして特別しんどいに寄ってる日だったのか?初見だから?どのみち連想ゲーで美しい悲しみと愛と信念と善性に美を感じるので、似たような結果にはなってそう。


 長々と書き連ねましたが、素晴らしい観劇経験でした。とりあえずまだパンフレットの各曲名見るだけでじわっときています。この美しい光景にもっと浸っていたい。