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2025.05.04 21:00

好きよりきらいが強い話 2025.5.4

 嫌いなことを書けと言われたら、多分延々と書けてしまうと思う。一番初めは「嫌いなことを書けと言われた」ってタイトルで書く。次いでトマトのことを書くし、小説の一節を書く。誰よりも嫌いのハードルが低い自信がある。なんでも嫌いで、大抵嫌い。きらいなことは筆が乗る。


 ふと、ここに書いていいのか、と自問したけれど、一応コミュニティ投稿の説明欄に「雑記、内省録」と記載しているので、続けることにする。合わないな、とかこんなの読みたくないな、とか具合が悪いと感じたらそっと閉じて、みんなはおいしいものを食べに行くのがいい。僕だってトマト好きな人にトマトが嫌いな話はしないくらいの良識は持っている。


 そもそも、好みの問題で対立する必要なんてないわけで、「僕は○○が嫌いだ」と言ったところで、あぁそうか、と話は終わる。議論も同意もいらない。正直に言えば好きなことにも理由はあんまりない。「なんか良いな」が一番良い。


 言葉を尽くさなければいけないのは好きより嫌いの方だと思う。間違って伝わってしまったら困るのは嫌いの方だから。例えば「嫌いなことを書けと言われた」をテーマにして書いたときに、言った本人まで嫌いの範疇か否か、これは間違えば争いが起こるかもしれない。嫌いな人の言うことは聞かないだろうから、きっと仲は悪くないはずだ。と想像力に期待するのはちょっとした怠慢かもしれない。


 僕はトマトが嫌いだけれど、トマト農家のこともアンデス山脈のことも嫌いじゃないし、残さず食べる。好きでもないけど。きらいから逃げきれない世界はちょっと嫌だなと思う。