公開投稿

2025.05.08 21:00

読めるようになった話 2025.5.8

 とっかかりのない脳みその表面を活字がすべっていく。ほんの一行前の文章を思い出せない。いっそのこと頭の中が空っぽだったらよかったのに、何も受け取れない頭には自責と苛立ちが詰まっている。 目の前の一冊と向き合えず、ただただ自罰的に活字をなぞった。

 読めないときは常に脳が半解凍のようだったり、そのくせ騒ぎ立ててうるさかったり、自分の身体じゃないみたい。切り離したくなる。とは言え、外部の情報を制限することで精神を保っていたわけで、無駄な時間でもなかった、はず、そう思いたい。


 “読書は思索の代用品”だとショウペンハウエルは言ったけれど、借り物でもなんでも使わないと動かせない身体が悪い。僕だって自分の力で立ち上がりたいと思っている。立ち上がる為の義足や松葉杖がこの読書なので少しくらい力を貸してほしい。ほんの少し、高い視界で見渡せること。ほんの少し、遠くに来られること。この感動が僕を動かす。


 取り込んでは消化して、肉体になる。読書は食事のようなものらしい。他の方法で栄養が摂取できるならそれでよかったけれど、読書に代わるものは都合よく見つからない。

 読めるようになったら書ける。文章が書けるとは思考が整理される。不定形な思考に不完全ながら形が与えられた。形になってようやく、借り物ではない自分の身体になって歩き出せる。