公開投稿

2024.11.15 18:38

『星の王子さま』は「美しい物語」か?

0

85

恐らく名前を知らない人はいないであろう有名作品『星の王子さま』ですが、実際に読んだことがある人は少ないのでは無いでしょうか。

とりあえず私自身はつい最近になって初めて読んだんですが、内容がイメージとまったく違って困惑しました。表紙などの絵はいかにもメルヘンチックだし、ざっと検索しただけですがブクログなどでも、訳者(河野万里子)後書きでも「美しい物語」「可愛らしい」などポジティブな感想が並んでいます。


※以下、重要なネタバレ


しかし実際のストーリーでは、

> 「きみのはいい毒なんだね? ぼくを長く苦しめたりしないね?」

> (中略)

> 王子さまは、雪のように蒼白になっていた。

と、要するに自殺します。この一点だけでも単純な「明るい話」では無いですが、感想などを見てても何故か触れられていません。

「深く考えれば美しい話」である可能性はありますが、普通に考えたら「悲しい話」ですし、そういう「普通の感想」があってもおかしくないのに何故ないのかが不可解です。

また、私自身としては深く考えると更に「美しい物語」では無くなると思います。まず小説は「子供だった頃の親友」への献辞から始まる、要するに「子供向け」と語られます。実際語り手の「大蛇ボアが猛獣を飲み込んだ絵」や「王子さま」がヘンテコな大人がいる小さな星を巡る部分や挿絵などは「子供向け」らしい雰囲気を醸し出してますが、「恩赦」など小さい子供は到底知らない語彙が出て来て普通の絵本などとは明らかに異なりますし、話も最初飛行機の不時着まではノンフィクションのような語りで進みます。

そして肝心のストーリーでも、「王子さま」はヘンテコな大人のうち「点灯人」にだけ親しみを覚えますが、この「点灯人」は昔受けた指示を忠実に守り続けてるためひっきりなしにガス灯を付けるのと消すのを強いられている人物です。しかし「王子さま」は「(実業家のように自分の事だけを考えるのではなく)自分自身以外のことをいっしょうけんめいやっている」と評価します。威張り散らす人間がダメだとしても、思考停止してロボットのように動き続ける人間が良いとはとても思えません。

そして「王子さま」は先述のように自殺し、死ぬ間際に「星空の中に一つでも大切な輝き(王子さま)があればそれだけで幸せな気持ちになれる」と語ります。この言葉は一見希望を表してるようですが、その後の「バラ」の話(一回でもうっかりしてバラがヒツジに食べられてしまったら何もかもおしまい)と合わせると、「大切なものが一つでもあれば幸せになれるが、逆に言えばそれが無くなってしまえば一切の希望が無くなる」という意味に思えます。


作者自身の境遇

そして訳者あとがきに書かれている作者サン=テグジュペリの話を見ると、これは作者自身の絶望を表したものでは無いかと思えてきます。まず献辞を捧げている親友レオン・ヴェルトは平和主義者だったがユダヤ人だったためナチスの弾圧を受けていたとあります。また、テグジュペリは軍で決められていたパイロットの年齢上限や飛行回数を上回っても飛び続け「事故死」します。訳者は「とにかく、大空がどこより好きで、心の落ち着く場所だったようだ」と書いてますが、自暴自棄あるいは自分の無力に対する苛立ちから死を望んで無茶な飛行を続けたとしか思えません。

実際Wikipediaには自殺説が載っています。

> 以下の状況証拠から、サン=テグジュペリ自身が起こした事故又は自殺の可能性も指摘される。

> サン=テグジュペリは飛行に対する人一倍の情熱の持ち主であった反面、忍耐力がなく、規律違反の常習犯であり、エアマンシップを持ったパイロットであるとは言い難かった。事実、サン=テグジュペリは過去何度も事故を起こしている。

> アメリカにわたって以来、サン=テグジュペリは塞ぎ込んでおり(『星の王子さま』はこの時期に執筆している)、失踪の8日前にはドイツの航空戦隊が敵である自分たちに向けてサン=テグジュペリ機が自暴自棄になったかのように突っ込んでくるのを目撃している(このときドイツ人パイロットらは発砲せずに見逃している)。


結論として、『星の王子さま』は「美しい」というより「悲しい物語」としか思えず、なぜ「美しくも悲しい物語」という評価さえ見かけず「美しい物語」という扱いになってるかが私にはわかりませんでした。

P.S.

この作品を読んだキッカケは以下のノベルゲームで「キツネ」「ヘビ」とともに重要な要素として出てくるからです。


※この記事は以下のQuoraというSNSに投稿したものを転載したものです。