philosophy

現代において、多くの人が他人に良い人間であると思われたい、若しくは自分自身はいい人間であると思い込みたい欲求にまみれている。この作品の意図は、こうした気持ち悪い欲求や自己顕示欲を批判したい、といった点から始まっている。

例えば、あるYouTubeチャンネルにおいて、店員にありがとうや会釈をするかどうかのアンケートが取られた。結果は72%が感謝を言い、24%が会釈のみ、残りの4%が何もしないという結果となった。このアンケートには驚かされた。レジのアルバイトをしているが、こうした事をされるのは、1日に片手で数えられる程度だからである。コメント欄にもこうした経験と結果のつがいに違和感を覚えている人がいた。

こうした行動の方が、いい人間だろう。いい人に見られるかも、そうした意識が行動に表れることで、まるで偽善者に会ったかのような、何とも言えない感情になる。例に挙げたのは、小さい日常にいくらでもあるような例であるが、こうした意識が累積することで、SNSによる発信や行動に多く表れているように感じる。


そうしたものの批判に際し、3つのものを描いた。


左:自己の消失

 言わずと知れた彫刻作品、ミロのヴィーナスがモデルである。その顔をくり抜いたことで、我々違和感を覚え、元の顔を思い出せなくなる。他者に対するための道具である顔を我々は失いつつある。


中央:他者の視線。

日本人は特に、他者の視線を強く意識しがちである。しかし、実際は我々は他人のことをほとんど見ていない。すれ違った人々の恰好を、寝る前にはほとんど忘れている。しかし、我々はそうした視線を意識して、理想に人間をSNSなどで演じるのである。


右:道化

こうした人間は、道化を演じているように見えてしまう。そうした、おかしなイメージを強調するためにカートゥーンにも似た絵柄で描いた。

実験作品1。


好きな画家のひとりに、ルネ・マグリットがいる。ベルギーを代表するシュルレアリスム画家である。マグリットの作品の一つに、「イメージの裏切り」というものがある(下記URL参照)。


「イメージの裏切り」について

キャンバスの中心にでかでかとパイプが描かれ、その下にはフランス語で「これはパイプではない」と表記されている。

マグリット本人はこの絵画に以下の様なコメントを残している(太字‐参照URLサイトより引用)。

「またあのパイプですか?もういいかげん、飽き飽きしました。でもまあ、いいでしょう。ところであなたは、このパイプに煙草を詰めることができますか。いえいえ、できないはずですよ。これはただの絵ですからね。もしここに「これはパイプである」と書いたとすれば、私は嘘をついたことになってしまいます。」

パイプの絵はリアルに描かれ、我々の目には本物のように映る。しかし、これはあくまでキャンバスに描かれた絵であり、パイプなんかでは断じてない。いくらリアルに描かれようと、それは絵であり、絵でしかないのである。

参考:イメージの裏切り / The Treachery of Images

これはパイプではない、Artpedia、【作品解説】ルネ・マグリット「イメージの裏切り」 - Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典・データベース、(2023/11/22)


この作品は上記の「イメージの裏切り」にインスピレーションを受けて作成した。

たとえそれが、すべて定規で描かれた図形で、ある程度適当な異様な配色をした形の集合体であっても、我々が人の顔だと認識してしまったものは、それにしか見えなくなるのである。黒色の図形は着物に見え、紫の部分は顔に落ちた影に見えてしまう。


我々はどれほどくずれた形にまで、人という認識を行ってしまうのであろうか。たとえそれがただの図形の集まりであっても。

後日追加予定。

後日追加予定。