公開投稿
2025.04.03 16:38
【限定記事※】『これからも立っていくということ』作品解説
※今回は「おためし」として、ファンプランで読める記事を全体公開にしてみました。私自身もこんな感じでいいもんか探りたいので
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今回の作品は明確に「2025年初春」(作品発表時点ではリアルタイム)の話として描いている。現在の日本や世界情勢と、90にある巨大製鉄所の跡地における議論など寄せてくる時代の波が大きくうねっているところから、改めて〈戦後80年〉時点を意識しつつ見つめながら描いた作品だ。
また、今回えがいたのは90の話だが、同様にひろちまの話も描こうと思って現在プロットを組んでいるところ。広島のまちにも〈軍都〉の遺構が堂々と現れはじめ時代や在り方の変化を作者が大きく感じたため、描きたいと思っている。しばしお待ちいただきたい。
■泣き虫な90という〈キャラクター〉
彼は本当に当創作ではよく泣く部類のキャラクターで、おそらくぷくやまより泣く。
もともと「くれ」というイメージを擬人化したとき鎮守府という組織ありきの発足という点から、〈ヒト〉としての考え方や感情表現が希薄であり、発露が苦手というキャラクター設定をおこなった。現在ずいぶん人間臭くなったのは存在としてこなれたことと後述による理由が大きいのだが、根本はやはり苦手であり不安定な部分を抱えながらも朗らかなキャラクターとして描画することで「くれ」というまちの在り方のひとつをあらわしている。
今回のお話はそんな「くれ」の“不安定さ”に都市としてもキャラクターとしてもフォーカスし、前述の寄せる時代の波に対する不安をキャラクターを通して描画したものである。
ちなみに、ぷくやまも私の擬人化創作ではよく泣くキャラクターなのだが、彼は「感情表現のひとつ」として涙が出る、泣くという行為を行う。90はどちらかというと様々な感情などが堪えきれず涙になることで泣くようなキャラクターで、笑いながらでも怒りながらでもおそらく泣いていると思う。
90はけしてクールなのではなく、ヒトとしての表現性が希薄なだけの若干人外寄りなキャラクターであるのはすこし肝心なところ。
■えたじまと90の関係のこと
つい、ひろしまは陸軍くれは海軍のまちとして双璧にえがきがちだが、彼らは相棒というほど近くはなく作中で言及されるように「対」の関係であり、どちらかというと「手を組む」別種のものに相対する、いわゆる仕事相手のような都市関係だった……と、とらえて私は描いている。
一方で江田島は、地理的にも海事的な役割においてもひじょうに関係は密なもので(広島で言えば金輪島や似島のようなものだろう)、同胞であり共犯者であるという意識が90にはあった。同胞ゆえに分かち合えるものがあり、近い視座から時代を見て乗り越えてきた仲で、まさしく「相棒」。90にとっては替えようがない存在感が村(町)としての「えたじま」にはあった。
えたじまからしても90は相棒のような親しい存在であり、彼のヒトとしては希薄ながら内面に抱えたものを見抜いては、俗っぽさを引き出すよう手解きしては面白がっていた。どちらかというと兄弟のようなものだったのかもしれない。
(「オーバーチュア・スケッチ」より)
しかし2004年の大合併により、町としての「えたじま」は消滅し、えたじま含む四町が新設合併して、「市としてのえたじま」が新しく誕生した。「えたじま」の名は冠するもののキャラクターとしては同一ではなく、90にとっては新人後輩ができたようなかたちになった。
「頼れるとこ見せたいし」というセリフにもあるように、90にも老舗としての自負とプライドはあり、彼なりにかつてのえたじまを見倣って現在を生き抜き、市として誕生した新生えたじまに対して兄貴分のような、家族のような親密さを持って彼をかわいがり関わりあっている。
──というものを内包しつつ描いたのが本作である。主に関係性における前提条件の多い作品なのでうまいこと描けたか自信はいつも以上にない……が、揺らぐ時代にたゆたう「くれ」というまちが抱えていることに触れつつ、キャラクターと物語を通して、これからへの不安と希望を描いてみた作品である。
自分の作品はいわゆる「言い聞かせる」作品が多いが、その側面がより強く出たものでもあるだろう。
こういう感じ。
あと、90の泣き顔描くのはものすご〜く楽しかったです。ちなみに舞台は改修中のやまミュ前。確か喫煙できたよな……とうろ覚えで描いたので、現在は完全禁煙だったら本当にごめんなさい。
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「これからも立っていくということ」
12ページ 短編