公開投稿
2025.04.12 23:38
【BL】今は花見だけじゃなくて
創作BL版深夜の60分一本勝負 のお題に挑戦しました。お題は「桜」「お花見」です。
※連載している「探偵事務所所長×部下シリーズ」の作品になります。キャラクター設定は「こちら」からどうぞ。
のちほど、作品のほうに改めてアップさせていただきます。
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「今日はもっと早く終われると思ったんですけどね……」
「仕方ないさ。特にこういう仕事なんて、どう転がるかわからないんだから」
それはもう、十二分に自覚している。
だが、今日は「もしかしたら」の起こる確率がぐっと低いと、所長ですら思っていた日だった。
『まったく、完全にしてやられたわね』
先輩である田野上梓(たのうえあずさ)も呆れと多大な苛立ちを交えてつぶやいていた。それもそのはず、懇意にしている菓子屋の新作が今日発売なのに、営業時間内に行くことが叶わなくなってしまったのだから。
「どうしたの? 寒い?」
「い、いえ。梓さんの恨み声を思い出して」
所長が力なく苦笑する。彼女の、お菓子への思い入れは相当なのだ。
「まあ、なんとか納得してもらえたからよかったよ。ああいうのこそ長引かせたくないしね」
素直なクライアントもいれば、厄介なクライアントもいる。誰の責任でもないし、運が悪かったと割り切るしかない。
「あ、ほら昇(のぼる)くん。着いたんじゃない?」
所長が指を差した方向には、石畳の両側に桜が植えられた道が続いていた。あらかじめ地図アプリで調べていたのだが「緑道」という名前がついているらしい。散歩やサイクリングを楽しむための道のようだ。
「桜、まだ結構咲いてますね! よかったー」
「それにしても、こんなところがあるなんて知らなかったよ。僕もまだまだだねぇ」
「事務所からちょっと距離あるし、駅と反対方向ですもん」
この場所を知ったのは本当に偶然だった。いつもより早く仕事が終わったから、寄り道してから電車に乗ろうという気まぐれを起こしたおかげだった。
——最近、所長とゆっくり過ごす時間が取れなかったし、桜の見頃も考えて今日しかないと誘ったら、この始末。
「明日は朝イチの予定ないし、君も僕のとこに泊まれば近くて次の日も楽だし、少し遅くなっても大丈夫だよね?」
あまりにも流れるように問われて、反射的に突っ込んで……いただろう。普段の自分なら。
「別に、大丈夫ですよ」
所長——雪孝(ゆきたか)さんは少し目を丸くした。無防備な片腕に自らのを巻き付けてすり寄り、控えめに見上げてみるともっと丸くなっていた。
「人、いないですし。ほら、早く花見しましょう?」
余計な詮索をされたくなくて、腕を引いて歩き出す。たぶん聡い彼には逆効果だが、顔をつきあわせるよりましだ。……小さな笑い声が聞こえるけれど、敢えて無視しよう。
「夜桜もなかなかいいね。日中だと街灯が邪魔だなって思うときもあるけど、ライトアップですごくいい雰囲気だ」
「ほんとですね……散ってる花びらもキレイです。ちょっと寂しさもあるけど」
昼と夜で、ここまで雰囲気の変わる植物もなかなかないと思う。人の気配を感じないのも、ただの道ならどこか怖さを覚えるのに、儚さに拍車をかけている。
「今度は日中にも来てみたいけど、来年の楽しみにとっておこうか。今年はこの花見で大満足だよ」
「おれも同じこと思ってました。もっと満開のときに見てみたいですし」
事務所から持ち出してしまった不満や苛立ちなどの感情が、時折吹く心地よい風に乗って少しずつ消えていく。雪孝さんの言うとおり残業が長引いたのは幸運、とまではいかなくとも、不幸ばかりではなかったのかもしれない。
「……ん? 昇くん、なんか言った?」
「え? いえ、言ってな」
聞こえた。人の声のようなもの、いや、はっきり人の声が聞こえた。
「……怖がる昇くんも可愛いけど、大丈夫だって」
周りを伺うように頭を左右に動かしてから、雪孝さんは背中を軽く撫でながらそう言った。なぜかちょっと苦笑いをしている。
「な、なんでですか」
道脇に移動してから、雪孝さんは無言である方向に指を差した。恐る恐る視線を動かして——間抜けな声が漏れる。
「どうやら先客がいたみたいだね?」
当人たちは桜の木でうまく隠れているつもりなのだろうが、逢瀬に夢中になっていては、その意識も疎かになって当たり前だ。
最中のときに気づくと漏れてしまう、鼻に抜けるような声がかすかに聞こえてきて、心臓がいちど、跳ねる。
どのみち、これ以上は進みたくない。
「仕方ないから引き返そうか。あ、それか対抗して僕たちも、なんて」
「……こっち、雪孝さん」
あんなところでなにをやっているのかと心底呆れている自分も確かに、いる。
でもその感情以上に、今は。
「……え、ほんとに?」
なるべく距離を取ったところで、雪孝さんを木の幹に押し付ける。
恥ずかしくてたまらない。呆気にとられた顔を向けられて余計に全身が熱くなる。呼吸もたぶん、浅くなっている。
だって久しぶりの、二人だけの時間を過ごせているから。
たとえ夜だけだとしても、朝からそわそわしていたほどに、この時間を楽しみにしていたから。
思わぬ「伏兵」はいたけれど、いなくても、きっと我慢できなくなっていた。
「呆れて、ますよね」
ゆるゆると頭を持ち上げる。
「まさか」
幾度となく目にした、明らかな欲を含んだ瞳が閉じられると同時に、待ち望んだ熱が降りてきた。
誤魔化せない。いつもより彼を求めている。置かれている状況を認識している自分がいるのに、キスだけじゃ足りないと、頭のいろんな場所から叫んでくる。口内を撫でる舌の動きを止められない。離してほしくない。
「やっぱり、ウチに泊まりで正解だったね」
スマホを取り出し、タクシーを手配し始めた雪孝さんの頭上にある桜を、ぼんやりと見上げる。
ああ、雪孝さんは、「花より団子」な心境をとうに見抜いていたんだ。