公開投稿
2025.11.19 21:32
「風がくうくうとなる」2025/11/19(水)の雑記
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朝読書と朝のラジオ体操に参加した。みんなでガチャピンとムックのラジオ体操を見ながらラジオ体操をする。ムックがジャンプするとき黒目が広い白目の中を行ったり来たりしていた。白目の範囲内でばよばよと行き来するそれをカメラがズームで撮影していて瞬時に「透けてるな……」と考える自分に落ち込んだ。ムックの背後にオモロの思惑が透けているのにうわ!と思ったのだ。作り込まれるものを好ましいと思うが、作り込まれているのにそれを忘れて没入できるもののことはもっと好ましいと思う。
ポモドーロタイマーを使ってショート動画の編集作業をした。ソフトの仕組みが理解できたときの喜びがすごい。「仕組み」や「構造」を把握するのが、いい。気持ちいい。腑に落ちるものをとにかく探している気がする。小さい頃から住所を覚えるのが好きだった。テレビではCMの電話番号にばかり気を取られていた。何もかもを覚えていたい。覚える行為自体に楽しさを見出しているのかも。覚える行為が好きだから、やりたいことができるようになるまでの過程が欲しくて新しいことを考えることなくすぐに始めてしまう。全部で一番になりたいので困っている。何も諦めたくない。頭の中にチャンネルがあって、本を読むことでそのチャンネルに接続される。本をリモコンとして、自分を操縦するようなイメージだ。短歌を作りたいときに短歌集を読むとか、決まった作家の本を読むとか、そういうふうにして短歌のことしか考えられないようにする。自分の感情や行動をコントロールするのに、本は自分に合った媒体。でも、本以外の媒体から世界に接続したい気持ちもある。音楽とか映画とか、外を歩くとか人と話すとか。もっとあるんだろうけれど。それを広く広くしていきたい。
頑張れていないんじゃないか、と、急に足元が抜けるような感じがきた。多分離れてみるとそんなことはない。でもなんか「やった感」が何からも感じられない。これは定期的にくる現象だけれど、いつまで経っても慣れない。自分の行動ぜんぶが空振りしている気がしてならない。くうくうと脇腹のあたりで風が溜まって音を立てている。風が球になって、小さな台風のような形で体のそばにいる。温かいお茶を入れた水筒が命っぽくて怖かった。「温かい=生命」だけだったらよかった。「冷たい=自分がそれより温かい=生命」になる。どうしようもない。まだ自分から病院の匂いがしている。カーテンをしゃっとしたら、病院の窓かもしれないと思うとできない。窓は苦手だ、切り取られる感じが強いから。祖父の見舞いに行こうとしているのに自分の通院日が今日であったことをバスの中で思い出した。はじめて通院をすっぽかした。あちゃーと思った。それだけだった。感情の線がぴんと張られている。それを弾いたら面白そうだと身を乗り出している知らない大きな影が、自分にかぶさっている。