公開投稿
2025.11.22 22:46
『脳本』序文
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失神する、という現象を文字通りに観測したことがある。人を神様にしたことがある。人が神様になるのを手伝ったことがある。
2017年。5月。ふたりに歓迎された。6月。20人から恨みを買った。7月。好きな人間と好きな人間が私の眼球のたった30センチ先でキスをした。8月。普通に生きてくださいと言われた。9月。四隅が全て収束する風景ばかり見た(部屋、靴箱、ロッカー、廊下、引き出し等)。10月。布団でいるはずのない生魚に触れた。11月。音が汚かった。12月。幸せだった。2017年から離れることができていない、今も。
『脳本』は私の脳の一部でしかない。他人の行動パターンやはじめての発音、明確な匂い、それらが薄く、しかし立体的な人物の形として脳という臓器に纏わる。その層が濃くなることによって脳の外側は分厚くなり、知っていることが増えているような気がしてくる。誰かのことをわかった気がしてしまう。他人の層が解けたとき、脳を脳と呼んでもよいのだろうか。
他人を選び続けて自己を構成してきた。何人もの手を振り払って2017年に縋っていた。そこに居れば残酷な自分を許さないでいる理由を、絶望しながら容易く手にし続けることができるから。
その構造をZINEにした。私が選んできた/選ばざるを得なかった全てのものが脳である。そして居座り続けた時間が長かった場所の濃度を高めて冊子にした。手放せなくてもいいから、破れる、燃やせる、側に置く、誰かに渡す、取り戻す、考えられないことも含めたどの可能性も有り得る状態自体を制作した。
もうここから2017年の一切を作品にすることはない。ポエティックでも神聖でもないたった一年の感情を、私はもう怖がらなくても可愛がらなくてもいい。もう誰もことも神様にしない。諦めるという選択が新たな脳のカスタム性を担う。今ここで、私はそのままの姿の2017年をやっと見ることができる。さわってくれるととてもうれしい。