公開投稿

2025.12.09 19:22

「からだのびのびの術」2025/12/9(火)の雑記

0

54

 ずっと自らの表皮に水泡がぷつぷつとくっついて、絶えずはじけ続けているような感覚。産毛の一本一本が、外で見た草のようにそよそよとなる。YouTubeの広告ではこれを永久に脱毛するよう促すものばかりが流れる。腕をめいっぱい上げて脇をむき出しにした人物が3人いて、そこに黒くて大きな機械を持った、にこやかな人物がやってくる。すごく笑っていて、毎度知らない人の笑顔はよくわからないなと思ってしまう。表情筋の癖が豊かであればあるほど良い人っぽくうつる。癖の豊かさは体験の数に伴っているのかな。私は癖が貧しいほうだと思っているのだけれど、ワンパターンの癖から不意に出る知らない筋肉の動きが面白いと思ってしまうので、普段顔の動きが静かな人をよく見てしまう。人のメイク動画に透ける「なりたさ」を好ましく思うし、使う道具、出来上がった顔が「なりたさ」への面白さを凌駕することがないのが面白い。「なりたさ」が「なるとき」をずっと追い越していて、そういうひとびとをかわいく思う。だからメイク動画が好きだ。


 柿を剥いた。少し皺の寄った皮を見て、唐突に不安が押し寄せるのを感じた。ぼんやりしているため、病気であることを忘れてしまう。何回も忘れるから何回も思い出す。振り返ったとき、自分が何をしたかも忘れている。ゆっくり机の上で指を歩かせるように一日を思い出してみる。


 起きる。洗濯機をまわして歯磨きをする。朝読書の時間に花宮ことひさんの『淡き受容体』を読む。洗濯物を干す。合同誌の目次と奥付けを制作。からだがしなしなとなってきて、布団に少し入る。スーパーに行って、野菜を買う。鍋をつくる。洗濯物を取り入れて畳む。たべる。食器を洗う。今。


 一日の流れ方がぼんやりしていて実感が薄い。これを「離人感」と呼ぶ、とこの前主治医から教わった。離人感が強いまま、異常に不安で、悲しくて、どこにも置き場がない嫌さがフラフープみたいにしっかりと形を成して、腹のあたりに浮いている。また思い起こしたことで繰り返し傷ついている。とりあえずストレッチをしてからだを伸び伸びにするかー!絵を描いたり詩歌をつくったりするかどうかは、全身をふにゃふにゃにしてから決める。