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2025.02.24 21:06
「隣の隣の研究室」の先生のこと
とある原稿を進めていて、ふと「隣の隣の研究室」の先生のことを思い出した。
その先生は文字通り、大学時代に私が所属していた研究室から「隣の隣」に位置する研究室の教授であった。私が近現代文学を専攻していたのに対し、その先生は王朝文学研究者。また、私は指導教官の影響もあり現代思想を取り入れたテクスト論による研究を志していたが、その先生は作家論、あるいは「テクストから『語彙』そのものを抜き出し、データとして整理した上でそこに論拠を求める」といった研究法の方だった。例えば、「この作品のこの章では助動詞『き』よりも『たり』が多い、よって……」というようなもの。今でこそそういった研究法の価値というか、データにより研究の角度を広げられることもある、ということも分かるが、当時の私はまだまだ未熟な一学生に過ぎず。データで読解を深めるってなんか合わへんわ~などとぼんやり思っていたのだった。
ところで、私が所属していた学科には一回生の内から専門講義が週に一コマのみ設けられていた。早い段階で学術研究に慣れるために、といった学科の目的があったのだろう。もちろん、その講義は必須単位に含まれていた。
しかし、ここで少々問題が起こった。客観的に考えると大したことではなく、寧ろそういったことも含めて社会性を身につけ学んでいく場所が大学なのだから……という意見も聞こえてきそうだが、少なくとも当時の私にとっては大問題だった。その専門講義の担当教授が例の「隣の隣の研究室」の先生だったのだ。
講義が始まって、三回目、あるいは四回目のことだっただろうか。なんとなく予想はしていたが、講義中に見事に先生と意見がぶつかってしまった。
先生の仰りたいこと自体は理解出来るけれどそれを論拠とするのは納得が出来ない、実際に先生が今仰ったこととは異なる論文も存在するけれどそれに関してはどうお考えですか。私としてはこのように考えているのですが、そちらに対してもご意見いただけるとありがたいのですが。
そんなことを、大学に入学して半年も経っていない子どもが講義中に堂々と発言したのだ。
周囲の皆は驚いたような、若干引いてしまったような顔でこちらを見ていたし、先生はとても厳しい表情をされていたように思う。その緊張感たるや、である。
そこからは平行線で、先生と私、ふたりだけがひたすら議論する場になってしまった。一回生の皆に開かれた、学術研究に慣れるための、必須単位講義内で。そして最後には、私は「全然納得出来へん、もうこの講義には出ません!」と暴言に近い言葉を吐いてしまったし、先生は先生でヒートアップしてしまって「あんたはもう来なくてよろしい!」と仰った。
何度も綴るが、この講義は学科卒業のための「必須単位」である。その講義にもう出ないと自分から申告し、先生も来なくて良いと明言してしまったのだ。同級生たちからは哀れみの視線を向けられ、特に仲が良かった友人たちからは「今からでも遅くないから謝って来ぃや」と促された。
しかし納得出来ないものは納得出来ないし、平行線にしかならないのであればこれ以上議論も出来ないのだから、私はこの講義には出ない。と、勝手に決断をくだしたのであった。
若気の至り、愚かなり。
だがその後、友人たちが全く想像していなかった展開が待ち受けていた。
先生は研究室の扉の前から続く渡り廊下に花を飾り、育てていた。私が所属していた研究室からお手洗いやゼミ室に向かうにはその渡り廊下を通らねばならなかったのだが、そこには季節を彩る様々な花の鉢植えが一年を通して綺麗に手入れされていたのだ。
その色鮮やかさ、優しさが、私はとても好きだった。
ある日、渡り廊下で花に水遣りをしている先生とばったり出会った。講義中に大喧嘩をして以来、初めてじっくりとお顔を拝見したと記憶している。
私の中では「先生の研究法や学術研究における論拠が納得出来ない」というだけで、先生のことはちっとも嫌いじゃなかった。しかし世の中にはそのように割り切ってモノゴトを受け止めることは出来ない、したくない、というひとも多いということを、私は当時からなんとなく察していた。なので声を掛けるべきかどうか迷ったが、それでもほんの少し、歩み寄ってみようかな、と思えた。
だって、渡り廊下の花々の美しさが好きだったから。
「こんにちは、お花いっつも綺麗ですね」
そんな一言で、ぽつ、と語りかけてみた。
すると先生は振り返り、私の姿を確認してから優しい笑顔を向けてくれたのだ。
「好きでやってるだけなんやけどねぇ、学生も他の先生方も綺麗や言うてくれるから嬉しいわ」
そこにはあの日の、講義中にお互い拒絶してしまった結果の張り詰めた空気は一切存在しなかった。
「私そんなお花詳しくないんやけど、先生の育ててはるお花はいっつも綺麗やしええな~と思ってて」
「お花も調べてみたら色々おもしろいわよ」
「でもなぁ、私もっと文学について勉強したいから植物にまで手ぇ出すのん怖い」
「あんたほんまに頑固やなぁ」
あたたかい陽射しの中で、ゆったりと、そんなことを話しながら笑い合った。
しばし語らったのち、先生が
「丁度ええ茶葉持ってきたんよ、良かったら研究室寄って行かへん? お茶煎れるわよ」
と、ご自身の研究室に誘ってくださった。
「ええんですか? せやったら寄らせてもらおかな」
その日は、履修している講義は既に終わっていて、私としても断る理由がなかった。
そうして私は初めて「隣の隣の研究室」にお邪魔することとなったのだ。
それからというもの、基本的には所属している研究室に籠る日々が続いたが、時々「隣の隣の研究室」に遊びに行くようになった。友人と時間が合わずひとりで学食に向かったとき、既にテーブルで昼食を取り始めていた先生を見つけて向かいの席に座らせていただいたこともある。
友人たちは講義中の、お互いにヒートアップして拒絶し合った様子を見ていたものだから、何故先生と私が仲良く出来ているのか全く分からん、と首を傾げていたが、私たちにとってはそれはまた別の話であった。先生も「思考や研究と人間関係、あるいはそのひと自身について」を割り切って考えてくださる方だったのだ。
その先生は、私が在学中にご退官されることとなった。ご年配の先生だったので、仕方がない。
とは言えやはり寂しいもので、冬のある日に私は「隣の隣の研究室」の扉をノックした。先生と、話がしたかった。話を聞いてほしかった。
先生は当然だとでも言うようにすぐさま受け入れてくださり、研究室の中であたたかい緑茶をいただきながらこれまでのこと、そしてこれからのことなどを話した。
つらかったこと。嬉しかったこと。この大学の、この学科に来て良かったと心から思っていること。将来やりたいこと。執筆活動を続けたいこと。そしてもしかしたら、世界は私が思うよりもずっと美しい一面があるのかもしれない、ということ。
それらを静かに聞いてくださっていた先生が、そっと語り始めた。
「あんたはええ目をするようになったわね。入学してきた頃は世界のすべてを拒んでいるような目ぇしてたわよ。せやけど、〇〇先生のもとで色んなことを学んで、そんなこと考えるようになったんやねぇ。これで私も安心して退官出来るわ。あんたのことは一回生のあのときからずっと心配やったから」
私はきっと「先生」という存在にとても恵まれているのだ。所属していた研究室の指導教官、せんせい、私の恩師。大学の学会に、私がまだ高校生の頃に連れていってくれた、中学の頃通っていた塾の先生。高校時代、放課後にずっと話を聞いてくれていた宗教科の先生、また厳しい態度で接しながらもいつも心配して声を掛けてくれていた国語科の先生。
高校でも、大学でも、先生たちに救われた。先生たちが私を見守りながら、ずっと心を支えてくれていた。
恩師、にあたるひとは私にとってひとりだけ、所属していた研究室の「せんせい」だと考えてはいるけれど。それでも、他にもたくさんの「先生」に、たくさんの大人に、未熟な私は育てられて今ここに立っている。
あの日、私がかつて世界を拒んでいたと言い当てた「隣の隣の研究室」の先生は今もお元気だろうか。確か大阪市内に住居とは別の、ご自身の研究室を構えており、そこで時折研究会を開いていらっしゃったように思う。とは言えそれらは私がまだ二十代の頃のことだから、先生のご年齢を考えると……
と、ここまで記して、一度私は深呼吸をした。理屈にだけあてはめてモノゴトを悪い方に憶測するのは良くない。私に出来ることは、まずは先生に連絡を取ることだ。
近々、所属していた研究室に顔を出すことになっている。そのときに、恩師に 「隣の隣の研究室」の先生のことを聞いてみよう。もしかしたら今も変わらず、あのエネルギッシュな様子で、学問に人生を捧げ続けていらっしゃるかもしれない。
もしもまた顔を合わせ、ゆったりとした時間の中で語らうことが出来るなら。
そのときは、季節に合った美しいお花を買っていこう。
yacca.