公開投稿
2025.05.20 18:49
令和七年、ゆうぎり句会再始動。
去年は体調の関係もあり、Web上での活動を中心としていた。それ自体はマイナス要素ではなく、結果論になってはしまうが、活動方針を絞ったからこそ得ることの出来たものも多かった。何より、「普段俳句に触れる機会がない方」が「俳句を『読む』こと」に興味を持ってくださり、「俳句っておもしろい!」と伝えていただける場面を賜れたことはとても幸せだった。
とは言えやはり句会がしたい。対面での、オフラインでの、句会がしたい。そんな思いが日に日に増していた。句会という座のおもしろさ、たのしさを忘れることなど到底出来なかった。
私は「ゆうぎり句会」を主催している立場なので、句会のための事前準備などもしなければならない。会場を予約し、各SNSで句会の告知を流し、また句会当日に使用する短冊や清記用紙、選句用紙なども前もって用意する必要がある。そしてそれらに対して、すこし、ほんのすこしだけ、面倒だな、と思ってしまうこともあった。しかしそんな気持ちは一度句会会場に足を踏み入れればたちまち消えてしまうのだ。理由はいたってシンプルで、たのしいから。皆と顔を合わせて互いの句について議論したり、鑑賞したり、若干脱線した雑談をしたり、そこからまた俳句の話に戻ったり。それらのすべてが、たまらなくたのしい。その時間が、空間が、愛おしいのだ。
そして今年、令和七年四月にゆうぎり句会は再始動した。以前と同じように第三土曜日固定で毎月開催、結社の所属や句の有季・無季など関係なく誰でも参加出来る句会、あるいは俳句パーティー。愛おしいあの時間が、ふたたび流れはじめた。
四月十九日、続いて五月十七日。一年、あるいはそれ以上お会い出来ていなかった俳人たちがゆうぎり句会に集まってくださった。急なことだったので告知もままならず、まだまだ少人数ではあるが、それでも「ゆうぎり句会が開催されるのなら是非参加したい」と久方ぶりに訪れてくださった方たちがいらっしゃるのだ。更には「薬夏さんがゆうぎり句会を開いてくれるまでお元気になられて本当に良かった」と、こちらが思わず涙ぐんでしまうほどにあたたかいお言葉までいただいてしまった。
これはもう、句会の準備がほんのすこしだけ面倒なときもある、だなんて言ってはいられない。私は俳句が好きで、文芸が好きで、子どもの頃からただただ文学が好きで。要は「自身の好きなこと」をずっと続けているだけなのだが、その中で賜ったご縁がある。俳句、文芸、そして文学に心を救われた経験がある。「言葉」に恩があると勝手に感じている。だから、これまた勝手に、俳句や文芸、文学に対して、あるいはそれらを通して繋がることの出来たひとびとに対して恩返しがしたいと常々考えている。しかし「恩返し」は容易く出来るものではない。具体的に何をすれば良いのか、と考えるとなかなか難しいものである。私に出来ることはあまりにもすくないのだ。
ゆえにこそ、改めてゆうぎり句会を続けていこう、と思った。出来ることがすくないのなら、せめて出来ることをしたい。参加者の方々がたのしく俳句について語り、学び、全力で遊べる場所を守りたい。誰もが等しく意見を交わし、鑑賞し合い、「良い一日だった」と感じながら帰路につける。そんな時間を、空間を守っていきたい。
そんなことを、しみじみと実感したのであった。
令和七年晩春、そして初夏のできごとである。
薬夏