公開投稿
2025.12.02 00:00
50歳の誕生日を迎えました
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12月2日は私の誕生日です。ソーシャルメディアでは、ある時から年齢を言うのをやめてしまい、そのまま長い時間が経ちました。話題にしている内容から、だいたい察されていたとは思いますが、今回、この節目の機会に改まってお知らせした次第です。
40代の振り返り
いろいろありましたが、こうして無事に通り過ぎてこられたな、というのが大まかな感想です。大きな出来事は転職と母の急逝です。母のことはここでは触れませんが、転職は私に大きな変化をもたらしました。今も昔もIT業界にいますが、転職を境に状況がガラリと変わり、自分の中にひとつ納得のようなものが生まれました。
徐々に衰えを感じる一方で、周囲から求められることは難しくなり、その対応に疲れてストレスが積もっていく実感があります。それでも、趣味の作曲は純粋に楽しく、ストレス解消の手段としても、自分を奮起させるツールとしても、この10年を支えてくれました。
作曲活動の振り返り
時間をかけて揃えたツールのおかげで音は良くなりましたが、作曲スキルはあまり向上していません。プロと比べれば、自作曲のクオリティはまったく歯が立ちません。作れるジャンルも相変わらずレトロなシンセロック/ポップです。最初の頃は、自分が何を作っているのかすら分からなかったものです。
「独特の世界観」と言っていただくこともありますが、私はその時々の心境を見つめながら、自分なりに工夫してできることをやってきただけです。多くの人に好まれるものは作れません。それでも聴いてくださる方や応援してくださる方には、ただただ感謝しております。
ただのお気持ち表明に過ぎない作品ばかりですが、この13年でその傾向も大きく変化しましたので、ここで1年単位で振り返ってみます。あまりにも気持ち悪い内容かもしれませんので、先に謝っておきます。申し訳ございません。
年ごとの振り返り
2013年(37歳)
デフォ子でUTAU Pデビュー。ただただ作るのが楽しかった時期ですが、良い音で作れないことが悩みでした。
「Grow」では、重音テトに劣等感を癒してもらおうとしました。
“独り言呟きながら
自意識ばかり高めてる
あなたが囚われている罠
いつか解いてみせるよ”
2014年(38歳)
MEIKOでボカロPデビュー。音楽で自分は変われるのではないかという、歪んだ期待に振り回されていた時期です。
「飛び出さないで」は、こじらせかけた自分への戒めとして書きました。
“そんな心 見え透いてる
貴方 都合が良すぎるわ
道理を捨てずに生きる道を
あきらめずに考えて ”
2015年(39歳)
ふみさんに動画を依頼。メジャーなDAWを導入し、好きな音を使えるようになりました。
「True Delight」では、前を向けるようになった自分への驚きを描きました。
“本当の望みは
ただの贅沢だって
信じていたのに”
2016年(40歳)
リアルの知人に曲を聴いてもらったりして、作曲者としての自分の限界を悟った年です。
「私のセオリー」は、開き直った気持ちを歌ってもらっています。
“恐れる心なんか
棄ててきちゃえ
そう 独りよがりでも
構わない”
2017年(41歳)
転職のための勉強を頑張っていた時期。不安や焦りがそのまま歌に出ていました。
「ねがい」(公開は2018年)には、その祈りが濃く反映されています。
“もっと 本気になれたら
後ろめたさも 忘れて
そっと 胸に閉じ込めた
願いこそが 君を許す”
2018年(42歳)
転職に成功。新しい環境に適応するため、少し作曲から離れました。
「新しい私」は、本当に変わることができた喜びを込めた曲です。
“昔の私なら信じない
新しい私
夢だとしても
後悔はないから”
2019年(43歳)
負の感情を作品に転化させるアイデアが出せなくなり、次の目的を探っていた時期。
「上手な嘘」は、ささやかな成功体験のお裾分けのつもりで作りました。
“固い固い殻を
上手な嘘で開かないかい
嘘がまことに変わる
そんな奇跡は本当にあるよ”
2020年(44歳)
新たな方向性として、見聞きした出来事への想いを曲にするように。
「Fragile Heart」では、世界が注目した民主化運動に感銘を受けて、何か書かずにいられなかったものです。
“夢見る熱よ
冷めないで heart
苦しいときを
共にして行こう”
2021年(45歳)
かなり行き詰まりを感じていた年で、原点回帰を心がけていました。
「Stop!」では、行き詰まる不安から、時間を止めて欲しいという弱音を吐いています。
“好きなことも
分からなくなりそうで
だけど
あぁ だけど・・・”
2022年(46歳)
力を抜いて進むことを心がけつつ、誰かに何かの一助になるようなものを指向していました。
「準惑星」は、スポットライトの当たらない活動を続ける仲間を意識して書きました。
“長き夜を
独りでは辛いから
共に支えて
行けたらいいね”
2023年(47歳)
自己流のクオリティはほぼ頂点に達し、UTAU音源の開拓を通じてコラボレーションの強化へ。
「PAL」では、繋がりを避けつつも求めてしまう矛盾を題材にしました。一定の評価をもらえて嬉しかったです。
“追憶に酔うだけ
無念も晴らせない中で
夢がさめた心が
もがき続けてる”
2024年(48歳)
ついに初音ミクの曲を書き、ようやく素直に「ボカロP」と言えるようになりました。
「あらかじめ さよなら」は、書いた時期は古いですが、前もって引退宣言しておく“防御線”として書いた曲です。
“お先にバイバイ
みんな好きだよ
そういうわけでバイバイ
今の自分も好きさ”
2025年(49歳)
敢えてリスナーを意識してみて、プロフィールを再構築したり、ボカコレに参加したりしました。
「安心していたいだけ」では、婉曲の域は出ませんが、静かに怒るメッセージとなったと思います。
“安心していたいだけ
安心したいだけ
やさしいあなたに
肩を寄せたいだけ”
この先の10年
下手の横好きでありながら、これまで78曲を送り出せたのは、自分なりの工夫の成果だと思います。しかし、その工夫もむなしく、作れなくなる日がいつか来ます。近年は、仕事や身の回りの事情、アイデアの枯渇、身体の衰えなど、さまざまなリスクの高まりを感じています。
それでも、新たな10年を乗り越えるために作曲を続けたい。次の目標は、常に“次の作品を出すこと”です。身構える必要はない。やめようと思えばいつでもやめられる。でも“今日ではない”。今はそう言い聞かせています。上の世代で頑張っている方もたくさんいらっしゃいますから。