公開投稿

2025.11.02 20:00

もっと交流がしたい話 2025.11.2

 もう去年の今頃くらいからTwitterのインプレッションを見ていない気がする。数字は見なくても通知は確認しているし、ここ一年困らなかったから別に無くても問題はないみたい。

 そもそもそういったSNSの数字を見ないようにしているのは、メンタルに影響が出てしまうほど気に病んでしまったからであって、気にならないからじゃない。正直、大いに気になる。まぁ、でも、SNSは控えた方が精神的に安定して絵が描ける。楽しい。

 ということなので僕は自分のアカウントのフォローフォロワー数も知らないままでいる。


 どこもかしこも感情的な情報が多い。ネット上の記事では文末が記者の感想文になっているし、テレビを見ればニュースキャスターが嘆いている。ニュースのほとんどはエンタメ化している。  大抵の情報は、大本はどこも同じ会社から提供されているものなので、そういった面で差別化しているのかもしれない。読みにくくて仕方がないので、無くなってほしいと思う。

 情報をそのまま処理しようとするから陥る状態であって、自分自身が上手く取捨選択を出来れば問題ないのかもしれない。いや、やっぱり、メディアはエンタメではなく言葉の通りに情報媒体であれとも思う。

 情報に触れて自分が何を思うか、まで方向性を決められている。果たして、今感じたものはほんとうに自分自身が考えた結果の感情だったのだろうか。「悲しいです」と書かれたものを読んで、自分も悲しむ必要はないはずだ。



 タイトルを決めてから書き始めたはずなのに、なぜだか全然交流したそうな文章にならなかったので、軌道修正していこうと思う。

 情報が多くて疲れやすいな感じることと、SNS上で交流したいことは共存すると言いたかったんだと思う。じゃあ具体的には何をするのか。当たり屋如く突撃でもなんて考えたけれど、そんな失礼な度胸はないので静かにいいねをする。

 情報の多さにうんざりすることはあっても、話すことが嫌いなんじゃないってことだけは伝わってほしい。



 嫌いや不満を書くのは(不本意ながら)得意なのに、いざ人を応援しようとか、感動を伝えようと思うと、全くと言っていいくらい言葉がでなくなる。自分の中の最大のコミュニケーションは創作なので、絵の投稿イコール交流なところもあると思う。嫌悪感や嫌味は僕はぜったい絵に描けないので。  元も子もない結論だけれど、もしかしたら、僕は喋らない方がいいのかもしれない。