公開投稿
2025.01.07 17:05
謹賀新年(遅刻)
遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
旧年中はお世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ところで今日は既に一月七日。七草粥は食べましたか。それともこれからですか。あるいは「食べない」という選択をする方もいらっしゃるかもしれません。今更日本の伝統行事云々をひとさまに押し付けるつもりもないので、その選択も全然アリ。お正月だからってそこまで胃もたれするような食事の取り方しとらんわ、ってひとからすれば胃を休める意味もあまりないもんな。
とは言え七草粥は本来「人日の節句」の行事食。一年間の無病息災、という意味が込められています。私は案外こういうものを気にしてしまうというか、ひとの営みのなかで生まれた願いや祈りの結果なんやな……と感慨深くなってしまうため、「『出来れば』七草粥食べたいな」派だったりします。(「七草」それぞれに意味があったりもしますが、それは調べればすぐに出てくることなのでここでは一旦割愛。)
しかし、その七草粥は「人日の節句の『朝』に食べるべき」だとされています。それに対して、我が家はあまり朝食を食べる時間がない+朝から食事はちとキツイ、という雰囲気。ですので時間をずらして、今晩七草粥を食べる予定です。そのあたりは臨機応変に、現代の、そして個人のペースで寄り添えれば良いのではないかな、と感じます。
また、それは俳句も然り。
先人の創意と感情、熱意、心で築き上げられた伝統を受け継ぎつつも、すべてに従う必要はない。私は伝統のために俳句をつくっているわけではなく、自身の心から湧き出る「何か」のために句を詠んでいるので。また、だからこそ俳句の「読み手」(not「詠み手」)に伝統的な解釈の仕方を押し付けることはしたくないなぁ、と本年も改めて思いました。
そんなこんなで相変わらず頑なな姿勢を貫いてしまいそうなお年始ですが、それでもきっとこの一年が終わる頃には「この部分はちょっと今までと違ったな」と感じるモノゴトがあるだろうし、加えて「こういう側面でまた一歩進めたんじゃないかな」と思える春夏秋冬にもしていきたいですね。願うばかりでなく、そのために何をすべきか、思考することも忘れずに。
ではでは、短くまとめてしまいましたが、今回はこれにて。
今年もよしなに、ゆるりと見守っていただければ幸いです。
yacca.