“いいじゃない、異能持ちだって平和だって!”

この世界では、通常の人間は有さない能力…俗に“異能力”と呼ばれる力を持った人間が、突然変異的に生まれる。


そのような人間は、外見的特徴による差別の対象になったり、常人を圧倒する能力から軍に入る事を強制されたり、はたまた力を扱い倦ねて暴走し自滅してしまったり…

普通ではないという単純な理由から、理不尽な生涯を送ることが運命付けられていた。



──と、いうのが100年前とかそこらの話。

不老不死の異能力者・花霙朔太郎が日本に生誕し、思想・理想を共にする鳩羽友之と出会い、この学園を設立してから、全ては変わった。


差別に塗れた貧民だろうが、幼少から軍隊で育ち心を塞いだ者だろうが、“普通の人間”らしい教育を受け、青春を送ることができた。

異能力についての研究が進み、理解が深まっていくに連れ、異能力によって自滅する者も減っていった。

学園から世界へ向けた広報活動により、根本的な異能力所有者に対する差別なども薄れていった。


時代の流れに合わせて、イレギュラーな生徒ばかりの学園も形を変えてきた。 現代技術を取り入れ、定期的に諸島を快適かつ高性能にアップグレードし、優秀な人材を集め、広い縁から世界規模の後援者までをも獲得した。


しかし、学園の姿形は移ろえど、理念だけは揺るぐことはなく、花霙校長・鳩羽教頭は口を揃えて必ずこう言った。



「この学園において最も大事なことは、生徒一人一人が幸せな学園生活を送ることです。」

運営より

様々なフィクション作品において、派手でかっこいい特殊能力を駆使して戦う異能力者

そういった英雄的な存在は、多くの作品で傷つきながらあがき続けています。刺激的でおもしろいストーリーにはなるでしょうが、生まれつき大多数とは違うものを持ってしまっていたという理由で戦わされる彼らが、どうにも報われないように感じました。


そこで我々は、バトル作品にあるような能力を持った人間平和に生きることができる世界を仮想しました。

力を持つ者には、基本的に敵ができます。その力を羨む者や、恨む者。危険視する者に、過剰評価する者…列挙したらキリがありません。


しかし、それが普通の人間には備わっていないだけの能力だったとしたら。

異能力という語は、非現実的で非論理的な魔法を操る力、という意味ではなく、他の人には難しいことを成し遂げることができる力、という意味です。広い意味では、すべての人間は異能力者だとも言えます。

この学園は、その傾向が飛び抜けて強く、扱い方を保護者に教わるのが難しい子どもを、将来社会に出たとき困らないよう適切に養育する施設です。

異能力者を養育するというのは、空の飛び方や火の吹き方を教えるということではなく、それぞれに与えられた足で二足歩行する方法を一緒に探すということであり、足がなかったり、逆に多かったりしたときはどうするのが最適かを考えていくということです。


少しずつ理解を得られるようになってきているとはいえ、いまだに異能持ちへの誤解は少なからず存在します。

異能力者というのは、人間の理解や自然の法則、科学的に観測できる範囲を超越した「よくわからないがスゴい超パワー」ではありませんし、怪しい壺を毎日崇めれば発現するスピリチュアル・エネルギーでもありません


彼らの本質は普通の人間であり普通の子どもです。

そのことを理解してほしくて、このことを分かってほしくて、この学園は存在しています。この世界における異能力者とは、そういうものなのです。




どうか、ちょっぴり不思議な青春で、鮮やかな思い出を作ってください。

どんな個性だって活かせますし、誰にだって幸せになる権利があります。


それが、浦吹異能養育学園ですから。

浦吹異能養育学園運営




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